バンクーバー冬季オリンピックの真っ只中、選手たちの熱い執念や悲願達成への想いには、本当に頭が下がる。4年間、メダルを勝ち取ることだけに執念を寄せ、気の遠くなるような練習量をこなした末に、一瞬の競技・演技ですべてが決まるわけだから、プレッシャーに耐える精神力たるや半端ではないだろう。日本男子フィギュアスケート初のメダルを獲得した高橋大輔選手は、これまでコーチとの離反や右ひざ靱帯断裂の大けがで、何度も凹んでいる。選手生命も危ぶまれた大けがの後、待っていたのは長いリハビリ。復活を諦めようか、自己との闘いは壮絶だったに違いない。その苦難の連続の末、勝ち取ったメダルである。彼の母親は、メダルの色はどうでもいいという。まさにそのとおりで、執念の頑張りで得た結果に対し神が与えた評価だと思う。また、織田信成選手においては全くついてない軌跡をたどっている。過去の全日本選手権では一度は優勝とはやし立てられたのに、前代未聞の採点ミスで2位に転落。今回は、スケート靴の紐が演技中に切れるという、これまた前代未聞のアクシデントに見舞われた。紐を交換しておけばよかったと、どれほど悔やまれたか計り知れない。災難続きだが、最後まで滑りきった姿は素晴らしかった。きっと次回もまた万難を排し果敢に挑戦するに違いない。
一方、オリンピック選手以外にも、自分の仕事に根性で取り組んでいる人たちは沢山いる。例えば役者だ。北村一輝という俳優がいる。甘いマスクでいかにもすんなり役者になっているように勘違いしてしまうが、実は大変な苦労をしている。役者バカという言葉は嫌いだそうだが、彼がその昔、まだチョイ役でチンピラを演じる時に、健康な前歯4本を抜いたそうだ。それは勿論監督からの命令ではなく、役柄を考えてわかりやすいだろうと思ったからであった。子供でも「あ、悪い人のようだ」とわかりやすいからという理由だけだそう。チョイ役にもかかわらず、わかりやすい演技の為にそこまでする彼には甘いマスクのチャラチャラ感はなく、恐ろしいほどの役者魂を感じたのであった。また、彼はハリウッドの有名な監督にアポイントも取らずに会いに行き、仕事をもらったとのこと。彼曰く、アポを取れば相手が拒絶するか、あるいは構える可能性があるから、「だめでもともと」と思ってホテルに乗り込んだそうだ。「貴方の映画が好きだ」と会話をし、結果1週間後には既にオーディションが終わり各々の役も決まっていたにもかかわらず、何らかの役をもらえたそう。役者が監督に直に売り込むスーパー営業である。「だめでもともと」と思えば、不成功でも悲観しなくていい。プラスの展開があればラッキーといったところだ。この「だめもと」発想は私たちの暮らしの中にも十分に使えると思った。
さて、頑張っている人たちを見て自分を振り返るとどうだろう?
今の仕事、置かれている立場、デイリーワークは、貴方がかつて希望に溢れる若かりし頃、想定していたとおりだろうか。あるいは、夢の実現のための線上にいるだろうか。
日々の生活や仕事に追われ、本当にしたかったことを振り返る余裕もないまま、毎日漠然と過ごしてはいないか。幹を見ず枝の葉ばかり揺さぶっていないか。強い志をもった人たちがそれぞれ頑張っているなかで、我、志が日々の忙殺に消されてはいないか。
夢や志だけでは食べていけないのも現実。恵まれた環境が夢を叶えるわけでもなく、むしろハングリーな方がばねになる。
前向きに生きていれば、回り道であったとしても、いつか自分がやりたかったことを実現できると信じている。わが人生に悔いはなし、と言いたいものである。
(シュピンドラー株式会社
代表取締役シュピンドラー千恵子)