紀元前のローマが巨大になった領土を経営していくには共和制といわれる体制では、いずれどうしようもなくなると考えたカエサルは、帝政を模索しているうちに暗殺されてしまった。カエサルの戦略眼通り、ローマは帝政になってアウグストゥス帝を始めとして後継者たちに引き継がれ繁栄した。
カエサルは、天才的戦略家だった。カエサルは戦略眼だけでなく、戦場で天才的な指揮を取る戦術家でもあった。数々の戦場で戦い方に惚れ々々してしまうのは、私だけではないと思う。
軍のスピードは、考えも及ばない工兵を使ったグランドデザイン的な装置、敵もあっと驚く意表をついた戦術に血湧き肉躍る思いを誰もが感じるだろう。
カエサルはローマの東の国境の安全を確保したゼラの戦いでの戦勝報告を、ローマの議会に送った。その内容が世にも有名な「来た、見た、勝った」という報告書であった。前回は「見た」に関して簡単に述べてきた。
今回は「来た」に関して簡単に考察してみたい。カエサルの戦い方は、戦場での指揮者が、まず戦場に立つことから必ずスタートしている。当然といえば当然であるが、戦場に立つということは単に闘いの場に立つということではない。
軍を動かし、移動させながら有利な地形や予定戦場に敵を誘って戦場を設定し、そこに立つということである。つまり戦場という現場をつくることなのである。
戦場をつくるには、先ず現場に行ってみなければならない。カエサルはそれをやった。それが「来た」ということである。
部品やコンポーネントを扱う販売員は、それぞれの営業の現場に行っている。そこで売り上げという成果を上げている。リピート売り上げのあるルート営業には、既に売り上げの上がる現場がつくられている。