「産業は回り舞台である」。日本のオートメーション技術は1960年代頃に始まり、日本産業の発展を底支えしてきた。高度成長で人件費が高騰し、労働集約型産業から、知識集約型産業へと移行しなければならなくなった時代、工作機械のNC化が進み、ロボットの開発が盛んに行われて、大量生産の工場を省人化し、少量多品種の製造を短納期化したのはオートメーション技術の貢献に他ならない。以来、約40年オートメーション技術はハイテク産業と呼ばれ、日本の基盤産業にまで成長した。
しかし、いま中国では沿海部で人件費が高騰し、労働集約型産業が内陸へ移動し、産業に新たな構造変化が起き始めている。工場の合理化、省力化、省人化が喫緊の課題になりつつありオートメーション技術が求められ始めた。リーマンショックによって世界同時不況となり、大変な仕事不足に困惑した。その後たちまち回復したが、実はその回復には中国の貢献が絶大だった。中国経済が元気を取り戻し、中国で新たな設備投資が始まったからだ。同時不況で7割から8割もの落ち込みを経験した設備機械産業が、たちまち元気を取り戻した。
一方、日本のこれら産業が、中国で直接ニーズを聞き出し、地産地消で応えようとの新たな動きが顕著となり、最近では「産業の回り舞台」を見ているように感じられる。また中国の国内で育った設備機械メーカが急速に技術力を向上させており、日本メーカ、中国メーカ一体の産業振興が始まった。オートメーション技術の新時代は日本のみならず、巨大な市場となりつつある中国を考える時代を迎えたのだ。私は昨年秋、そうしたニーズに応えようと中国に工場を創業したが、新年を迎えて、激動の時代を乗り切る先見性と経営力が、一層求められている。