スナオ電気はタイマー・タイムスイッチの専門メーカー(浜松市東区下石田町1495、TEL053―421―2281、和泉三雄社長)として、今年3月に設立45周年を迎えた。変化の激しい中で、企業が約半世紀を生き抜くのは容易なことではない。環境への対応力、独自の技術力と応用力、堅実性などが長寿企業の条件といわれているが、同社の和泉三雄社長は「もっとも大切なのは『革新』の心構えと3方(会社・取引先・社会)の『信頼』の醸成ではなかろうか」と語る。今回、“専門メーカーとして45年間"の同社の歩みと展望を3回に渡って連載し、専門メーカーの強みの秘訣を探ってみた。
―会社設立の経緯を聞かせてください。
和泉社長
電気関係の会社で営業を担当していたが、東京オリンピック後の不況で、所属部署が撤退する方向に進んでいた。製品を買っていただいているお客様が困っているのを見て、私はチャンスととらえ独立した。お客様からタイマーの開発依頼を受けて取り組み、カレンダータイプを開発した。タイマーのカレンダータイプは、まだどこの会社も製造していないときである。お客様から性能を高く評価されたのがきっかけとなり、2年後の1967年に会社を東京都大田区に設立、カレンダータイマーCT型を売って歩いた。
―1967年は明治100年に当たります。独立に維新の志のようなものを感じます。
和泉社長
どこにもない製品で、お客様の賞賛を得たものですから、不況の底であっても「売れる」との信念があった。69年ごろから景気が回復する中で、若年労働者の不足と人件費の高騰で製造業は省力化・省エネブームとなった。志を途切れさせず売り歩いたことと、省力化ブームの到来でお客様が広がり、今日の下地ができた。また、時計の精密技術を持つ製造協力会社もできた。現在、ファブレスブームだが、当社は操業当時から実行している。
―売り上げをどのようにして伸ばしてきたのですか。
和泉社長
他社に先駆けて全国でPRや販売をしてきた。お客様も省エネでプラスチック成形機からハンダ槽メーカーへと広がり、当社の知名度も上がった。73年には山武商会さんに販売していただくことになり、売り上げがさらに伸びた。事務所が手狭になったのを機に、東京営業所を残し、本社を私の出身地である浜松市に移転した。この東京営業所は、90年に設立の東京スナオ電気に販売業務を移管した。
―オイルショックはどう切り抜けたのですか。
和泉社長
確かに制御機器業界も軒並み業績を下げ、当社も売り上げが減少したものの、販売強化と製品開発に注力した。全国的な知名度になったカレンダータイマーCT型に続いて、73年にWT型、76年にET型を発売し、製造業の省エネ、省力化ニーズに応えることができた。全国の商社から注文が相次ぎ、お陰で一気に販売取扱店が増えた。現在の当社の販売基盤が、この当時にできあがった。
―市場の拡大で販売競争は激化しました。
和泉社長
デジタル化時代に入り、80年ごろから大手メーカーが進出してきた。当社は対抗上、80年にカレンダータイマーMTC型、83年にETM型、SSCシリーズを発売、同時に専門メーカーの特色である小回りを利かせた営業を行った。標準品のほか少量でもお客様の仕様に合わせた製品の製造販売に取り組んでいる。メカニカル式からマイコン搭載型まで長年培ってきた技術ノウハウがあるからこそ、多様な要求に対応できる。我々専門メーカーの強みである。競争は90年代まで続いたが、ニッチな市場で小回りを活かす戦略が奏功した。
(続く。*続編は4月27日、5月25日掲載予定)