「必要は発明の母」という言葉がある。人は不便を感じると、あれこれ工夫を重ねて何とか成し遂げる。家庭には多くの種類の仕事があり、主婦は一日中大変忙しい時間を過ごしている。少しでも速く、少しでも効率よく仕事を終わらせないと、仕事が残っていく。だから何とか速く、効率よくやれる方法がないかと、いろいろと試行錯誤してやっているうちに上手くいくようになる。上手くいかない時でも忙しく手を動かしながら、無意識の中で考えている。そして、ある時ふと思いつく。主婦が特許を取って、結構な稼ぎをしているのは衆知の通りである。
街の発明家がいろいろ特許を申請しているが、主婦のように稼いでいるかどうかわからない。主婦の方に軍配があがるのではないか。女性は不便という必要から出ているが、街の発明家は一般的に言うとロマンのようなものを求めることが多いからだろうか。「必要が発明の母」と言われるなら、好奇心の母は何だろうか。疑問を感じることであるし、知りたいと思う知識欲であろう。
人は同じ物を見ても、同じことを聞いても疑問を感じる度合いが違う。仕事や立場が違うのだから、当然のことである。しかし、同じ業界にいる同じ立場の販売員が同じ物を見たり、同じことを聞いても、湧く疑問は視野や意欲などによって異なる。
業務用や産業向けの機器・装置をマーケットとしている部品やコンポーネント営業では、創設期の販売員と現代のような成熟期の販売員とは明らかに好奇心の度合いが違う。創設期では小さな子供が何にでも興味をもって「これ何」と聞くように、工場の中や業務用の製品がどうなっているかなどを、こと細かに聞くことを常とした。
顧客も少なく、アプリケーションも少なかったから販売員を取り巻く環境がそうさせたのかもしれない。現代のような成熟期では、顧客も多いしアプリケーションも多く、リピート品の受注処理や案件の技術的処理等の打ち合わせで目一杯の仕事が存在している。したがって、部品やコンポーネントがどこにどんな役割で使用されているかわからないまま売れていく。それを知りたいと思う知識欲はない。販売員の欲は、いくらの売り上げをしているかという数字の多寡である。
営業を取り巻く環境が、いろいろなことを知りたいという欲を萎(な)えさせているなら、強い意思をもって好奇心を醸成させていかなくてはならない。販売員にとって、情報は仕事の要である。特に情報提供よりも、情報入手は数倍も重要だ。商品紹介等の情報提供は、情報入手のためにするものだからだ。情報入手するには、聞き取る力を知識として勉強するのではなく実践して身に付けなければならない。そのために、(1)観察を怠らない(2)愚痴やぼやきにさえ耳を傾けること、に関して前回までに詳しく述べてきた。(3)として、「なぜ、どうして、どこに、などの疑問を持つ癖をつけること」である。疑問を持ち続けることによって好奇心が強くなって、知識欲が芽ばえてくる。今までトランスが売れていたのに、なぜ使われなくなったのか。プリント基板を使っている様子もないのに、基板用の機構部品の注文があった。一体どうしたのか。なぜ、どうしてを問うと事柄の本質が見える。隠れている情報が浮きあがる。
好奇心が旺盛だと言われる販売員は、疑問を疑問として終わらせないで、検証していく人である。検証する過程で、販売員は顧客の仕事に関する知識欲が旺盛になってくる。そうなれば1歩も2歩も顧客熟知に近づく。(次回は5月11日掲載)
【お詫び】本連載の26回~31回までのタイトルが「続・大競争時代の宿題・歴史から学ぶ新たな戦略」となっていました。お詫びいたします。(編集部)