1.前史
(1)東西配電盤工業会の誕生
1950年(昭和25年)、朝鮮動乱の特需のさなか「東京配電盤機器工業会」が瓜弧の声を上げた。後の東京配電盤盤工業会である。その10年後、1960年(昭和35年)に「関西配電盤工業会」が創立された。両工業会は、配電盤業界における関東及び関西両地区に共通した会員間の過当競争、大手企業対策、製品規格及び価格や技術の向上などの問題に共同で対処するため、1966年(昭和41年)から話し合う機会をもった。1970年(昭和45年)には東海配電盤工業会も参加する。
配電盤業界は、折からの中東戦争によるオイルショックで、鉄板、油入り遮断器などの異常な値上がりに直面しており、1地域だけの運動では限界を感じていた。
こうした背景もあり、取引面において弱い立場にある配電盤メーカーは、全国組織を結成して業界の生存権を政府当局に働きかけるとともに、関連団体に対しても対抗し得る権威を持つべきだと認識していた。
(2)全国配電盤工業会連絡協議会の創立
そこで東京、東海、関西の3地区配電盤工業会会長が設立準備人及び設立発起人となって、1967年(昭和42年)頃から陸続と創立されていた各地区工業会に全国配電盤工業会連絡協議会への参加を呼びかけた。
その結果、札幌、東北、東京、新潟、群馬、東海、関西、岡山、中国のほか兵庫(後に関西に吸収される)、さらに1973年(昭和48年)に創立したばかりの九州が加わり、11団体からなる全国団体は、1973年(昭和48年)7月24日に実現した。
会長には宇賀神金四郎氏(東京)、副会長に副島栄八氏(関西)及び箕浦鑛一氏(東海)が選出され、役員及び監事には河上宏(札幌)、土屋厳(九州)、川〓勇(東北)、小名堅之助(新潟)、串田光夫(群馬)、戸谷佳永(兵庫)、宮崎定一(岡山)、高杉二良(中国)の各氏が選ばれた。
(3)日本配電盤工業会と改称
この協議会の第2回通常総会が九州で行われた1975年(昭和50年)3月25日、業界の活動を一層有効に行うため、「日本配電盤工業会」(以後、日盤工という)と改称する。
2.耐熱盤の認定業務を開始
1972年(昭和47年)の大阪千日前デパート火災や1973年(昭和48年)の熊本市大洋デパートの火災は消防史上に残る大惨事となり、多くの犠牲者を出した。これを契機に、不特定多数の人を収納する建物における防火対策の必要性が痛感され消防法が改正された。
自治省消防庁はこの改正に伴う技術基準の作成などの必要から(社)日本電気協会、(社)日本内燃力発電設備協会などの消防設備に関連する団体に対し協力を要請したが、日盤工に対しても、1975年(昭和50年)7月24日、安全救急課長
(現在の予防課)名で、1975年(昭和50年)5月28日消防庁告示第8号(低圧で受電する非常電源専用受電設備の配電盤及び分電盤の基準を定める告示)による配電盤及分電盤の自主認定を行うよう依頼があった。
そこで直ちに「非常用配電盤等認定業務委員会(田辺隆治委員長)」を設置し、精力的に国の政策に貢献した。現在も非常用配電盤等認定、耐熱形配電盤等機器認定を行っている。
3.社団法人化へ
(1)機構改革委員会の設置
全国団体の結成以来、次の懸案はより権威のある社団法人への移行であった。
そこで1981年(昭和56年)に開催された役員会で、日盤工を結成してから10年目にあたる1983年(昭和58年)を目標として、技術系事業を中心とした社団法人を設立するために「機構改革委員会」の設置が議決される。
委員長に選出されたのが社団法人化の必要性を強く訴えのちに初代の会長になる倉持清一氏である。倉持氏が中心となり関係官庁及び(社)日本電機工業会(電工会)などとの折衝が始められた。
(2)通産省許可法人の内示
こうした状況の中で、1981年(昭和56年)10月、野口昌吾電気機器課課長から日盤工を許可法人とすることの内示を受けた。
1982年(昭和57年)2月には設立発起人会が旗揚げし、6月に入るとこの設立発起人会が作成した「入会のご案内」を各地区工業会へ発送した。入会希望会員は、正式に申請する際には正会員410社、賛助会員55社にのぼっていた。
その後、11の各地区工業会は設立総会以前に発展的に解消し、社団法人発足と同時に北海道、東北、東京、中部、関西、中国、四国、九州の8支部に組織変更した。なお、新潟、群馬は支所として東京支部に属し、中国は広島と改称し、岡山とともにそれぞれ支所として中国支部に統合されることになった。
1982年(昭和57年)10月29日、東京プリンスホテルで臨時総会を開催、また同日、同会場で設立総会を開催し、次の設立趣意書が承認され、初代会長には倉持清一氏、副会長には箕浦鑛一、辻野照雄、土屋正直の3氏が選出された。
(3)設立趣意書
終戦以来、わが国産業界における電力の需要、国民生活面での電気、電子応用機器の利用は多岐広範にわたり年々増大しており、これに伴って電力の安定供給及び電気施設の整備拡充が国家的課題として推進されている。
高・低圧配電盤、分電盤及びその他の電気関連盤(以下「配電盤」という)は、電気の流れにとって設置されるあらゆる電気機械、器具へ電気を円滑に配ると共に、電気系統の中枢として重要な役割を果たし、併せて操作及び保守管理の面で、生命と財産の安全を確保するものである。
近年、わが国内外の経済情勢が目まぐるしく変転する中で、生産性の向上、省エネルギー、環境保全等への国民の関心が高まるにつれて、配電盤に対しても技術の高度化、安全性の向上等が期待されるようになり、国の経済発展のため業界としても積極的な対応努力が求められている。私共は、こうした背景の下に、1973年(昭和48年)以来任意団体として活動を行ってきた従前の日本配電盤工業会を発展的に解消し、新たに「社団法人日本配電盤工業会」を設立して、権威と責任のある団体行動を展開し、全国配電盤製造業の総合的発展を図り、併せて優良な配電盤の提供を促進し、もってわが国産業の発展に貢献せんとするものである。
4.規格類の調査
(1)配電盤関係標準化規格体系に関する調査
配電盤業界において使用されている規格・基準類は、日本工業規格(JIS)、各団体規格などのほか諸官公庁の基準仕様書などがあり、これらは相互間に統一を欠いている点が見受けられ、各ユーザーそれぞれ異なった表現や基準で発注するため、行き違いの原因となったり配電盤類を製造する際の合理化を阻害したりする要因の一つとなっている。こうした問題を、業界主導により解決することは、社団法人日本配電盤工業会設立の重要な目的の一つである。
そこで技術部会がまず手掛けたのは配電盤関係の親格体系の調査であった。
調査結果は『配電盤関係標準化規格体系に関する調査報告書』としてまとめられた。次の3点に要約できる。
・整備すべき規格の種類
・規格基準類の規定項目及び内容
・用語及び名称
これらを体系的に実施するため、1985年(昭和60年)、日本配電盤工業会が制定する規格及び技術資料の管理方法を定めた「日本配電盤工業会規格等規定」を制定した。以後の技術部会の活動の指針となるものであった。
(2)JIS改正原案作成を受託
こうした折り、1987年(昭和62年)6月、通商産業省工業技術院から(財)日本規格協会を通じJIS
C
8480(分電盤通則)改正原案の作成依頼があり、「JIS
C
8480改正原案作成委員会」を設置した。委員長は中央大学工学部教授猪狩武尚氏。委員の構成は中立者6名、使用者6名、生産者6名とした。
この間、原案作成に必要な作業の主なものとしては、分電盤の遮断試験を1985年(昭和60年)11月、翌年9月、翌々年8月と3度にわたり実施したこと、会員企業に対する意見の聴取を行ったこと、そしてIEC現格のうち低圧開閉装置と操作装置の和訳をしたことが挙げられる。
また、改正原案作成の過程で規格の名称が分電通則からキャビネット形分電盤通則に変わり、さらにキャビネット形分電盤と個別規格になった。これは“短時間耐電流"の上限値を定めたことや各条項の整理の段階でJIS
C
8328(住宅用分電盤)に適用できなくなったことからである。
原案は1988年(昭和63年)3月に完成し、日本工業標準調査会における所定の審議を経て、1989年(平成元年)4月1日に改正され、6月に発行された。
5.品質保証体制の整備とJSIA優良工場認定制度
(1)品質保証体制の整備
設立総会における今後の事業の一つとして「業界として規格基準の徹底、品質管理の改善、品質保証の確立を図る」ことが盛り込まれており、品質保証体制の整備は社団法人化の重要な目的の一つであった。
そこで、1990年(平成2年)に『高度情報化における配電盤業界の品質保証体制の整備に関する調査研究報告書』をまとめ、平成4年から品質保証体制推進協議会を発足させた。加盟者に品質保証体制の整備、試験検査設備、記録、製品の品質責任などについて自主管理を義務付けたものである。
この協議会は1994年(平成6年)、品質保証体制整備支援事業の最終目標を、工場認定制度の創設とした。
1995年(平成7年)にはこの事業を側面から支えるため労働省の許可による配電制御システム検査技能審査を開始した。また、翌1996年(平成8年)には『配電制御システム業界の将来ビジョン』を作成し工場認定制度の位置づけを「会員企業の品質保証体制整備の支援を目的とし顧客に評価される制度であること」とした。
その間、外部環境の変化としては、1994年(平成6年)に日本品質システム審査登録認定協会が認定業務を開始した。これによりISO品質システムは普及のスピードをあげ総合建設業者や電気工事業者が認定を取得するようになり、官公庁もこれを評価するようになった。さらに公共建築協会も1996年度(平成8年度)から品質性能評価制度に配電盤類を追加した。
(2)JSIA優良工場認定制度の開始
こうした背景のもとに1998年(平成10年)1月、JSIA優良工場認定規定を定め、第1回の認定は1999年(平成11年)4月から実施した。委員長には松浦正博日本大学教授が就任。関係官公庁や関係団体が委員として参加した。
このJSIA優良工場は、顧客が配電盤メーカーを選択する際の判断材料の一つとして利用して頂くことを想定し、品質マネジメントシステムは世界共通の評価基準として、「ISO
9001」を採用。さらに、優秀な技術者を有し配電盤類に関する優れた技術力を有する工場を認定する完成度の高い制度を目指している。
審査基準としては次の4点が特徴である。
・高水準の品質保証体制の確立と維持(ISO
9001を基本に配電盤メーカーとして必要な事項を追加)
・配電盤メーカーとしての高い技術力の確保(設計・製造・検査の国家資格等保持技術者の在籍義務。法令等の遵守能力)
・製造技術に対する不断のレベルアップ(指定講習会の受講義務)
・万一の場合の補償体制の確立(PL保険の加入義務)
特に技術力の評価については、技能士等の人材の確保として1級配電盤・制御盤製図技能士、1級配電盤・制御盤組立技能士及び1級配電制御システム検査技士の確保を求めた。
また、JSIA優良工場認定制度の課題を解決するために、2007年(平成19年)、JSIA優良工場運営委員会を発足させた。
6.魅力ある業界にするための提言
1990年(平成2年)に発足した業界将来ビジョンを考える会長諮問委員会は、約半年にわたる密度の濃い討議を経て「様々な形態の会員企業がそれぞれの持ち味を活かした将来ビジョンを描くために、業界団体としての日本配電盤工業会が何をなすべきか」をとりまとめ、第37回理事会で会の指針として承認した。
提言は、現状認識として、過剰生産能力と需要の低迷による価格主体性の喪失、市場主体性の喪失、最終ユーザーに対する主体性の喪失、規格・仕様などに対する主体性の喪失を挙げ、これら直面する課題を解決するために次のような提言をした。
・取引正常化の実現
「取引基準の遵守」「関係者へ理解を求める」ことのほかにも「流通経路の整備」「過剰設備による過剰供給の是正」や「正確な見積もりができ提案能力のある営業マンの育成」などにも取り組む。
・競争できる価格への努力と新技術の開発
特に建設関連型の会員企業は受注後の仕様変更への柔軟性、アフターサービス、メンテナンスを含めたトータルコストをアピールする。
・顧客に評価される工場認定制度
・盤用機器部品の認定
盤用機器部品を認定し、同時にコード番号を付しデータバンク化する。
・JSIA規格によるJSIA仕様の実現
多少高くても高品質な配電盤類を要求するユーザーのために業界規格であるJSIA規格を整理し、これに基づき「JSIA仕様」を制定。この仕様で製作した製品であることを表すラベルを貼付することを検討する。(つづく)
(次回は6月27日付掲載)