日本の総合商社は元気がいい。活発な資源開発などで、好調な決算を発表し新聞を賑わせている。1980年代には日本の商社が冬の時代と言われたり、商社無用論などの本が書店に並んでいたのとは様変わりである。80年代と言えば物づくり製造メーカーがオイルショックを乗り切って、品質・コストを武器にして輸出に隆々とした時代であった。
メーカーの力は大きくなり、商社を通さずに自前で海外に拠点網を築いた。そのため日本の商社の取り扱い高は減少し、商社冬の時代と巷間伝えられたのである。
商社は日本メーカーの代理業務の減少によって、商社本来の姿に立ち返った。坂本龍馬が世界を相手に商売をするという目的でつくった亀山社中やその流れを汲んだ岩崎弥太郎の商社には、世界の物品を売りたい国から買いたい国へ橋渡しをするという商社の本質があった。日本の商社が近年、隆々として見えるのは物づくり製造メーカーが苦戦をしているので、スポットライトを浴び出したということだろう。
商社は本来、決まった物を売るために動くのではなく、情報によって動くものである。商社が冬の時代に見えたのは日本メーカーが生産する日本品の代理業務がなくなってしまい、大変だという感覚的なものだったのかもしれない。しかし商社が世界中に築いた支店網では日本メーカーの代理業務だけをしていたわけではなく、世界各地の状況を情報として収集してきたのである。
日本メーカーの代理業務は半減したが、それまで蓄積してきた情報の多さによって、次の打ち手は多数にのぼり、後はどの方向に進むかの判断の問題だったのだ。
メーカーの情報収集は設備や技術に制約される傾向にあるので、製造販売商品に偏るのは否めない。その点、商社はより自由な観点から情報収集することができる。情報収集の観点から言えば、商社は情報社会の申し子と言えるのである。したがって現代の情報社会の中で他と比べて隆々としているのは当たり前なのかもしれない。
それだけ情報に対する感度がよく、長い年月を経て全方位の情報を取る風土が根付いているということだ。
国内の電気部品や制御コンポ販売の業界においても、60年代の創業期にはまだメーカーの力は弱かった。メーカーの代理契約をしている商社の情報は貴重であった。販売店の販売員はユーザーとの信頼関係を築き、ユーザーに関する色々な情報を持っていた。メーカーの販売員はそれらの情報の中から関係ある情報を聞き出して商品に関するサポートをして売り上げを伸ばしていた。ユーザーをあまり知らない部品メーカーと、ユーザーを掴んでいた商社の力関係は五分五分であった。成長期に入ってくるとユーザーの生産力向上が生産のオートメ化を促進した。
それに対処するため、部品・コンポメーカーは次々と新しい商品を世に出した。その結果、ユーザーは部品・コンポメーカーの商品を心待ちにするようになった。
それ以降、メーカーの造る商品がユーザーを開拓するようになって、商社が顧客を掴んでいるという優位さが半減したのである。そのために成長期を通してユーザーを商品で掴んだメーカーの戦略が、商社にとって最大の関心事として推移してきた。
大きくなったメーカーの力は代理業務網の整備をして成熟期に臨んで来た。やがて大競争時代を迎え、メーカー同士の競争は激しくなった。代理業務をこなす商社はメーカーの戦略一辺倒にはやや疲れを感じて、距離を置く傾向がでてきているが、次にどうしていいのか不明のままである。時代背景は情報化社会であることを深く認識すれば、それぞれの事情を含んだままでも次の戦略レベルの方向に移れるはずである。
(次回は9月26日付掲載)