混沌とした時代でなくとも情報の重要性は変わらない。工業化社会を成し遂げ情報化社会に入っている国では、特に情報の重要性は際立っている。工業化社会を邁進している新興国では安くて、良い商品をつくれば必ず売れる。工業化社会を成し遂げ成熟社会を実現した国は、安くて性能の良い商品でも必ずしも売れるとは限らない。情報化社会ではユーザーがどんなことを求めているのかを捕捉した商品でなければならず、必ずしも価格や性能にこだわるものではないということである。いかに良い商品をつくるかという工場サイドの満足度から、顧客の満足に軸足を移さねばならないということである。
とうの昔に言われているから、わかっているつもりだが、競争が激しくなると性能で勝とう、安さで勝とうという思いが強くなり、顧客の満足を忘れてしまう。どうしても工業化社会のやり方を優先させてしまう、つまり顧客情報より技術的情報を優先させてしまうのである。頭でわかるだけでなく、行動そのものが変わっていくためには大きな衝撃が必要である。その衝撃が人の意識を変え、その意識が行動となって表れる。
歴史上そんな大きな衝撃があったのは幕末に黒船を目の当たりにした時であろう。
大変だ、日本は危ないと心底思った人たちはすぐ行動を起こした。それまでに佐久間象山や横井小楠といった開明的思想家が唱えていた世界が、急に目の前に現れたのである。その大きな衝撃は、日本人のよりどころにしている意識を変えた。
最初はどうしていいかわからずに、まず他藩はどうするのか、特に時代を先取りしている藩はどんな様子なのかを探るために、感度の高い志士といわれる人々や藩の外交担当の公用方に属する人たちは全国を走り回った。それらのエネルギーは膨大なものであった。少しずつ情報は整理されて日本の方向は定まっていった。
幕末の動乱は、それに権力闘争が加わって明治維新という世界が出現したのである。最後まで奮戦した会津藩が頑迷固陋で旧態依然として日本の近代化に立ち塞がったわけではない。会津藩でもロシアと北方領土の交渉をしにフランスに洋行した藩士や、西国の藩を訪問し情報交換した藩士、佐久間象山、勝海舟、西周といった西洋事情に明るい人と交流を重ね、世界の情報に接していた藩士達の活躍により幕末の流れは握んでいた。その結果として会津藩も薩摩や長州、土佐、肥前藩と同様に新しい日本国づくりを志向していた。しかし薩長土肥藩との権力闘争に敗れたのである。むしろ薩長に味方し、会津に攻め込んだほとんどの藩は黒船の衝撃を受けて立ち上がったわけではなく、勝ち組に乗っただけとも言えるのである。
話は横道に逸れてしまったが、黒船という大きな衝撃によって新たな世界の幕開けを予感すれば、これからどうすれば良いのかを考える前に様々な情報をまず入手しようと動き回らねばならなかったのは自然である。
工業化社会を成し遂げた日本では、成功してきた製品や成功してきた生産体制を今や海外、特に中国、東南アジアに移している。今まで成功してきた物事は国外へ出て行き続けているのだ。
このことは、国内販売する者にとって幕末の黒船の衝撃に等しいはずである。国内販売は現状のままだとどうなるのかという恐怖すら覚えるはずだ。
この大転換期には歴史的にもまったく別の世界が実現してきたように、国内の需要は社会的ニーズが変化し、得意の製造体系も従来の路線から変わっていくのが見えるはずである。混沌時代の販売情報力が問われているのだ。
(次回は5月29日掲載)