学校の教科書で学んだ文明とはエジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明の世界四大文明である。昨今の文明論では学者によって文明を七・八・十六文明など様々に分類されているが、いずれの文明論の中にも日本文明は独立して入っている。
現在、主流になっている世界七大文明論では中華文明、インド文明、イスラム文明、東方正教(ロシア正教)文明、西欧文明、ラテンアメリカ文明、日本文明の七大文明である。
多くの文明は複数の国で文明圏をつくっているが、日本文明は一国の文明である。漢字があったり仏教や儒教があったりするので一見、韓国と同じように中華文明圏の一員のように見られてきた日本は、まったく違った文明であることを世界が認識するようになった。海に囲まれ他民族に攻めこまれにくい距離があったし、めちゃくちゃ寒いでもなく暑いでもなく、四季があって緑の多い列島に生きる人々は、繊細で謙虚で自然と共生する文明を築いてきた。それが一国文明の所以である。
謙虚で繊細な民族性は、海を渡ってくる進んだ文化を日本古来のものと融合させて、独自なものに作り変えてしまうことを繰り返し行ってきた。日本古来のものを侵食しないで融合させることが特色と言える。
猛烈な宗教上の戦争でも、日本では飛鳥時代に仏教が伝来した時に古来からある神道との血で血を洗うほどの殺し合いは起こらず、仏教と神道の調和による神仏習合を果たしてしまった。
鎌倉時代に中国から入ってきた儒教も、江戸時代には古来の神道と融合させ、現代の儒教圏である中国や韓国の儒教的感覚とはまったく違う社会をつくっている。宗教の融合は水と油を混ぜるようなものなのに、それを混ぜてしまえるのは日本民族にしかできない芸当である。
飛鳥時代に作られた十七条の憲法の第一条にある、和をもって尊しと為すという条文は、日本の民族性を言い当てている。明治以降の日本は、西欧の文明に脅威を感じて富国強兵を目指し、西欧の文明を急速に取り入れた。富国強兵を急ぐあまり、明治政府は神仏分離による神道国教化政策を実施した。民衆は寺院や仏像を破壊し、廃仏毀釈なることをやり出したが、世の中が落ちついてしまえば古来の神仏融合にもどっている。西欧文明のすべてを受け入れるのではなく、これまで通り受け入れられるものと、受け入れられないものを古来から日本人の根底に存在する『和』という精神で選択し、融合させてきた。
西欧文明の強さである機械文明を受け入れた際にも単なる模倣の産物としてではなく、弓引き童子や茶運び人形のようなからくりの繊細な感性をもった技術と融合させ、独自の機械技術を発達させてきた。
戦後、日本の物づくりの歴史で日本らしい物づくりが始まったのは70年代のオイルショックの時である。石油が入らなくなるという恐怖感によって太平洋戦争に突入した時とは違って、日本古来からある「もったいない精神」が省エネルギー技術をつくり上げたのである。これは西欧に先がけて成功したため、日本の機械を一躍世界のトップに押し上げた。
日本の高度成長期が終わり、物づくりの環境はグローバルとローカルの2本立てとなった。海外生産は、グローバル市場を見据えて量産と低コストのための大型自動機生産をさらに進めるだろう。国内では、国内の事情が需要を新たに生む。それらの生産は多種で少量の物づくりが主流となる。多種少量の特徴は、人と機械の融合でなければコストの吸収ができない点にある。人と融合する機械や治具をどうつくるかにかかってくる。融合のうまい日本文明のお家芸でオイルショック同様に乗り越えるにちがいない。
(次回は1月28日付掲載)