産業機器のルネサンスという内容で、産機ルネサンスという標語が業界の片隅でささやかれたのは80年代の後半の頃だった。そもそものルネサンスとは、学校の教科書に文芸復興と書き記してある。ルネサンスは14、15世紀のイタリアを中心に起こった活動で建築、美術、文学、科学、技術に至るあらゆる分野の文化活動を言う。西洋史では、西ローマ帝国が滅んで世俗の王以上の権力を駆使したローマ法皇の時代を中世と位置づけている。「宗教は絶対」という基準で人の生活を律してきたキリスト教支配は、人間性の暗黒の時代と言われている。その宗教からの解放を人間解放、文芸の復興という形式をとったので、再生という意味のルネサンスと表現したということである。
それでは、産業機器業界のルネサンスとはどんな意味があったのだろう。ルネサンスにはダヴィンチ、ミケランジェロといった文化人たちの偉業がきらきらと輝やいている。産機ルネサンスとは再生という意味ではなく、きらきらした輝やかしいものという意味で使われていたのだと思う。
成長期というのは社会のインフラの整備や、ビルや工場があっちこっちで建設され、騒然としたという形容がぴったりだが、その後に形成された社会は落ちつきがあってガツガツさがとれていた。産業機器の業界は、日本の物づくり産業を世界に誇れる地位に引き上げた一助を成しているという自負があった。
その80年代後半には、産業機器の業界も成長期のように粗けずりの省力・自動化一辺倒からきらきら輝やかしい時期に入っていた。成長期にたくさん生まれた部品やコンポ商品は、電子化を身につけて複合化し、機能は磨かれて、高機能が添加された。製造は、品質と納期が一段と安定する物づくりを実現していた。騒がしい時代が終わって、そのようなきらきら輝やかしい時代に入ったと感じた時に、業界で産機ルネサンスという言葉がささやかれたのである。
現在でも産機ルネサンスは続いているのであろうか。おそらく、きらきらした輝やかしい産機ルネサンス期と感じている人は少ないと思う。槌音が響く騒がしい時代とそれに続く産機ルネサンスの時代には景気の悪い時でも、それほどの不安感はなかった。これらの時代に、景気はあるサイクルで巡るという感覚があったからである。ある時から景気が不透明性を帯びてきた。良くなる、悪くなると言えなくなって不安感が先立つようになったのである。
このような景況感は、きらきらした産機ルネサンス時代の終鐘であったのだ。
西欧では華やかなルネサンスの後には宗教改革、そして領国、民族間の戦乱が数百年間続き、やがて中央集権国家への道をたどってきた。産業機器業界では華やかな産機ルネサンスがしばらく続いた後に、各種の改革という言葉が聞かれた。例えば物流改革、チャネル改革といったようなことである。商品についても成長期には開発という言葉がよく聞かれたのだが、この時期には商品戦略などといって商品のシリーズ化、ラインアップ化が行われた。その後、顧客満足という旗印を掲げて競合・競争を激しく展開してきた。ずいぶん長いこと競合打破という戦乱が続いている。ルネサンスが解放・再生という本来の意味であるなら、産機ルネサンスは今がその時代なのかもしれない。
長い間続いている競合・競争から抜け出すには、ルネサンスが中世宗教の呪縛からの解放を目指した時、ギリシャ・ローマが参考になったように、成長期の呪縛から解放されるにはハイテクとかローテクという概念を捨て、ユーザーつまり使う人に合わせて、あるいは社会性、つまり使う人に合わせて、あるいは社会性、つまり社会に有用なことに合わせての物づくりをするという原点に立ち戻る時代であり、営業はそれを応援することなのだ。
(次回は2月18日付掲載)