いまどきの若者は云々という言葉を使う時に、あまり言いたくはないが、という前置きをする。このフレーズは太古の昔からよく使われていたというが、何となく古く思われたくないという意識が働くからだろう。時代を経るにつれ技術が発達し、人口が増加すれば社会の制度やしくみが変わって、人々の生きる環境も変わる。明治維新や第二次大戦後のように異質な価値観に変わってしまうほどではないが、人々の生きる環境の変化は世代間の価値基準を変えてしまう。
1990年代中頃から情報通信が飛躍的に発達し、社会環境は様変わりした。情報とは事物や出来事の内容や様子のことであり、通信とは音信を通じて意思や様子を相手に伝えることである。いろいろな事物や出来事を知って、そのことを音信を通じて他人に伝えることは昔から行っていた。情報通信とは、単に情報と通信がくっついただけではない。情報を司るコンピューターと通信技術が統合したことによって、ITという世界が出現した。その結果、ものが中心となって工業化社会から、ソフトが注視される情報化社会へと急速に変わってきた。
工業化の時代を過ごしてきた世代と、情報化時代に物心がついた世代では価値の基準が違うことになる。そこで、いまどきの若者は云々ということになる。しかし古典が現代でも新しく感じられるように、情報化時代になったからといって、人間性まで変わってしまうようなものではない。どの時代の社会でも、社会は人の集まりである。社会が機能するには、人と人のコミュニケーションが大きな働きをする。
情報化社会のコミュニケーション手段は、以前と比べると様変わりしている。手紙やファクスや電話という手段は、電話やメール、そしてインターネットを利用して開発されるいろいろな手段の広がりに変わっている。
ビジネスの世界では、電話による伝達は少なくなった。かつて営業の事務所に一歩入ると、電話で話す声が響いていた。その響きで景気が良いとか忙しそうだという空気が感じられた。メール・ネットが中心になった現在は、以前に比べると景気状況や忙しさは分かりにくくなっている。しかし部品やコンポ商品営業では、以前に比べて顧客からの用件処理量はかなり多いし速くなっている。半面、時間を取られる電話や訪問は以前に比べると極端に少なくなった。そのせいなのか、業界の営業マンが苦手としているのは、まだ顧客になりきっていない見込み客に対する初回のアプローチや2回目のアプローチである。
見込み客である設計者や生産技術者も情報化社会で育ってきた人たちだから、同じ価値基準を持つ者同士ということでは双方向のコミュニケーションがスムーズに出来るやり方を持っているのではないかと思うのだが、なぜか見込み客からの用件があれば、初回や2回目以降の訪問は出来るのに、自ら用件をつくって果敢にアプローチすることを苦手としている。
これは挑戦意欲の問題だが、そうとばかりは言えない。メールで育った世代は、仲の良い間柄なら絵文字を使って感情や表情を伝えられるだろうが、知らない人には通用しない。声に慣れれば強弱高低、会話の途切れる間などによって相手の感情を読むことができる。実際に訪問すれば相手の動作、表情で何を言っているのかよく分かる。用件処理の時間が短縮されたためだが、接客や見込み客に会う回数が減ったために、ビジネス上会っている人の顔や動作を読むことが下手になった。
もし、それを是とするなら、見込み客とスムーズに会って会話できる情報化時代のツールの開発が必要になる。
(次回は6月24日付掲載)