■現場の力 海外で発揮 ものづくり大国の製造技術
部品や機器を扱う営業が売り込み活動をする相手はものづくりの技術者である。ものづくりの企業や工場にはいろいろな役割を持った技術者がいる。営業が会う技術者は主として二種類の技術に分けられる。製品開発技術と製造技術である。製品開発技術は、市場が求めているものを製品に仕上げる技術である。製造技術は設計された製品を作る技術である。これまで日本がものづくりの大国として評価されてきたのは製造技術の高さである。特に製造現場で積み上げられてきた改善が新たに作られる機械やシステムに寄与しているのが特徴で、いわゆるボトムアップ型で成功してきたといえる。
市場の求める製品を設計する技術は、欧米に比べると弱いとされている。製品開発はトップダウン型であるため日本の不得意の分野だ。製品開発は企業の方向を決めるものである。方向を決める時には情報を集める。そして決心する。情報への理解の深さは欧米に一日の長がある。この溝はなかなか埋まらない。それはこれまでの歴史に関係している。西洋の歴史を見ると侵略の歴史である。村や町や民族や国は常に緊張感を持って運営されていた。隣人たちの情報に敏感になるのは当然の成り行きだった。情報に敏感になれば研ぎ澄まされた感覚や完成からヒラメキが生まれる。このようなヒラメキが製品開発を素早く決心させていくのだろう。
これに対し、日本では一部の人を除けば民と言われた人々には緊迫はなかった。1反から採れる米作技術に血道を上げる競争の方が身につまされる問題であった。
情報に敏感にならざるを得なかった西洋と、1反からどれだけ多くのうまい米を作るかという環境下にあった日本との違いがものづくりに現れている。つまり西洋は製品開発設計技術にたけ、日本は製造技術にたけてきた。
現代のものづくりの基礎となっている機械化文明は、18世紀後半に英国で起きた産業革命から始まった。それはたかだか250年くらい前のことだが、機械化文明が広まるスピードは速く、瞬く間に世界を巻き込んでしまった。西洋に続いて工業化社会を達成した日本は、1980年代には世界の工場ともてはやされたのもつかの間で、中国にその席を譲った。さらに昨今では中国が世界の工場と言われた時代は終わり、工場は世界中に拡散し始めている。
ものづくりを得意とする、日本の製造業の多くは、90年代に中国に生産拠点を移した。当初あまりの円高に耐えきれず、コストセンターとして工賃の安い中国に工場を移した。世界の工場として中国の生産性は上がったが、それ以上に賃金の上昇が高く、工場をコストセンターとして見るなら省力自動化設備の導入を積極的にやるか、さらに賃金の安い国々に移動させるかの選択に迫られている。
しかし多くの企業は中国をコストセンターと見ず、13億人の人口を抱えた需要旺盛な市場と見て中国に根を下ろしている。中国をはじめとして世界に散らばった工場をコストセンターとして見るなら、日本がものづくり大国として評価されてきたもととなっている現場の力を他国でどう展開するのかが鍵である。器用な日本人は他国の文化・風土を捉える感性を持っているから現地でのものづくりは根付くだろう。一方、その国の市場のものづくりはどう作るかではなく、日本とは違う市場に対する、マーケットイン型ものづくりの徹底が鍵となるため、製品開発設計技術の出番なのである。