薄れゆくパートナー 販売店との関係に変化
部品や機器商品を作るメーカーは、作り出す商品を熱心に拡販してくれる販売店が必要である。メーカーと熱心に拡販してくれる販売店との関係は、歴史をたどると、その時代時代によって双方それぞれの思いに関係している。
部品や機器商品が誕生し発展していく草創期では、メーカーが作り出す商品はどこに使用されているのか、商品を必要と感じてくれるお客は一体どこにいるのかがはっきり分かっていた訳ではなかった。それに、お客の存在が分かったとしても、誰に会ったらいいのか、その人にたどり着くまでの人脈パイプがメーカーにはなかった。
一方の販売店は、工場等に顧客を持ち、電設資材、機械工具、配管材、弱電資材などを納めていたので電気や機械の技術者にも人脈パイプを持っていた。部品や機器商品の草創期は、戦後日本の黎明期でもあり、販売店は売り上げ拡大のため、各種の商材が増えることは歓迎だった。現在のように情報があふれ、どこにでも情報のある時代ではなかったので、相当なお客を持ち、人脈パイプを持っている販売店の力にメーカーが頼るという形で双方の関係は始まった。
販売店にとって売り上げが増えるのはいいが、それまでの商材とは勝手が違ったので、電気に関する知識や用語に戸惑いがあった。この戸惑いを克服しようとした販売店とメーカーの顧客拡大の思いが合致して、特約販売契約が結ばれた。
当初の関係はディーラーヘルプの概念とは程遠く、安定した生産をしたいメーカーは、顧客の納期に応えるための在庫を特約販売店に要求し、逆に特約販売店は他者と比べて売りやすい価格を要求することであった。日本の産業は製造現場から強くなってきたように、メーカーと特約販売店の間のディーラーヘルプの概念も、双方の販売員たちの営業現場から徐々に形作られてきた。
当初メーカーの販売員は、特約販売店の販売員の後に付いて歩いた。やがて特約販売店側でももっと商品の技術的側面を知ることが売り上げ拡大につながることを悟るようになり、勉強会などをやっていたが、メーカーと特約販売店との結びつきを強くして売り上げ拡大を図るために販売促進に関する会議体が作られた。その中で商品に関する勉強をするようになった。
日本の産業の勃興期に入ってくると、メーカーの商品開発は盛んになって、顧客が必要と感じる商品が次々と発表された。工場は日本中に建設され、新しい顧客は部品や機器商品を求めたから、販売チャネルありきの時代から商品ありきの時代となって、商品が顧客を探してくれるようになった。この時点でメーカーの力が販売店の力を上回るようになって、特約販売店を支援するというディーラーヘルプの概念を積極的に具現し始めた。リベート制度、共同で行うセミナーや展示会、親睦のための各種イベント、拡販のための共同作戦などを形作った。最盛期にはパートナーと呼び合う関係になった。
日本産業の成熟期に入ると、部品や機器商品は色々な市場に売れたが、各市場で商品を供給していたメーカーが互いに同種の商品を作り出したので、メーカー同士の競争が激しくなった。
一方の販売店側も市場が成熟し、顧客の数も増えず、売り上げに勢いがなくなると、売り上げを商材に求めて多くのメーカーと特約契約を結ぶようになり、複数の競合メーカーの販売契約店となった。そのため以前のようなパートナーという位置付けは薄れ出した。それでもメーカーは販売店を必要としているので、現状を肯定した上で新しいディーラーヘルプを構築しなければならなくなっている。