中央、地方、分散・集中で変化
見えない市場へ新たな打ち手
東京一極集中を是正し、地方の活力を取り戻し、日本全体の活力を上げることを目的とした一連の政策は、地方創生と言われている。戦後、華やいだアメリカ文化がやって来て東京へ根を下ろした。情報が未発達の時代だったが、東京の華やかさは地方に伝わり、若者は東京へと向かった。
1970年代になると、昨今話題となっている田中角栄が首相時代に行った日本列島改造論の波に乗って、地方の公共施設、公共のインフラの建設ラッシュが起こった。大都市圏にあった工場は、生活しやすくなった地方へと散らばった。地方で働く場所は増えて、飲食店・娯楽施設・大型店・ファッションが市街地をにぎやかに彩った。
テレビ・雑誌はリアルタイムで東京を報じていたから、東京との一体感に憧れていた地方都市はリトル東京のような都市へと変貌した。ヨーロッパには残っている個性豊かな地方都市は日本では少なくなり、どの地方都市も同じような顔つきになった。
90年代に日本経済は成熟段階を迎えると同時にグローバル化の波が押し寄せると、あらゆることが大競争の渦にのみ込まれた。地方の工場は低コストを求め海外へ引っ越し、大型量販店が地方都市の郊外へ進出すると、街の中心部から華やかな灯が消えた。若者は再び華やかな大都市へ向かい、東京がその中心となって東京一極集中が始まった。
制御機器や部品業界に関わっている営業でも、成熟期を迎えグローバル化が始まってから、ある意味では東京一極主義的傾向になってきた。ある意味とは販売員の配置ではなく、大競争の市場を制するため、戦略や戦術を考える営業本部の人員を大幅に増やしているということである。
本部の企画やマーケティング部の人数が増えても、地方の支店・営業所には販売員が増えない。それなのに本部から出てくる施策は多くなり、ついて行くのに汲々としているようだ。その上、地方の支店・営業所は中央の指令を待つようになって、地方独自の目標が見えなくなってしまった。
もともと地方は面積が広い上に工場は方々へ点在している。営業する上で大都市圏に比べると効率が悪い。だから販売店との共闘は欠かせない。大都市の市場に比べると、販売店との関わりの比重を高くしなければならない。こうした地方の独自性がなくなり、中央の本部の指令で動くことに汲々としていたら、地方の支店・営業所の活力は半減することになる。今や国政がやっているように地方創生のような活力を上げる考えが必要なのである。
その考えに参考になるのは、地方支店や営業所の成り立ちから現在までの歴史をたどってみることである。日本経済の高度成長期も終わりに近づいた70年代に、部品・機器メーカーの地方拠点づくりは活発であった。それまでの販売員は顧客開拓が中心であり、販売員個人の技量が組織的活動より優先されていた。その開拓力に優れた販売員が地方拠点長となった。
まかされたエリアで開拓力の旺盛な拠点長は客先開拓に奮闘したが、増えていく顧客をカバーしきれなくなった。エリア内をカバーするため、販売店の必要を感じ、販売店育成能力を身につけていった。メーカーの拠点長はエリア内工場の顧客化を販売店と一緒になって実行した。地方への工場進出も激しかったから、進出してくる工場の顧客化も忘れなかった。
80年代日本の生産性は世界のトップレベルになった。地方の拠点長はやがて大都市の拠点長へと移籍した。そこで気づいたのは販売の打ち手を打つのに、地方では見える顧客が相手であるが大都市のエリアでは数があまりにも多く、よく見えていない市場に向かって打ち手を打たねばならぬことであった。
90年代の入り口では大都市と地方エリアでは市場の違いを理解した作戦で、それぞれに合った行動ができていた。