「知的財産」という言葉にはなんとなく硬いイメージがあり馴染みにくいところがあるかもしれません。それでも実際には、知的財産は気が付かないうちに私たちの日常生活に溶け込んでいます。この連載では、知的財産の専門家ではありませんけれども、その世界に身を置く立場の筆者が、皆さまに少しだけ知的財産を身近に感じてもらえるような切り口で、特許、商標、意匠などの知的財産にまつわる話を綴ります。
「冒認」防ぐ商標権確立を
身の回りにある製品、例えばスマホや自動車などには、多数の特許技術が組み込まれていますが、普段私たちはそのことを意識することはあまりありません。特許技術がブラックボックス化されているからです。特許に比べますと、商品名やロゴマークなどを保護する「商標」はもっと身近な存在といえます。
上野動物園のパンダの赤ちゃんは、生後80日で体重が30倍になったというから驚きですが、名前はまだ決まっていません。報道によると全国から32万件余りの命名応募があり、9月初旬の時点で8点に候補が絞られたそうですが、それらの候補名は公表されていません。公表しない理由には宣伝効果を狙うということも当然あると思いますが、命名に先立って、第三者が名前を商標登録してしまうことを防ぐことも公表しない理由の一つのようです。確かにグッズ関係や媒体関連など、パンダのもたらす経済効果は大変大きいですから、関係のない誰かがパンダの名前の商業的使用権を独占するようなことは、あってはならないことでしょう。それでもパンダの命名騒ぎに見られるような便乗型の商標出願が後を絶たないのは事実です。
このような問題は日本国内にとどまるものではありません。外国にマーケットを展開する日本企業にとって、対象国に商標権を確立しておくことは大変重要です。日本ブランドに対する評価が高い国ほど、日本企業の商標を現地企業や個人が先取り横取り出願する傾向があります。このような行為は、知財の専門用語で「冒認」と呼ばれます。
「さぬきうどん」は手軽でおいしいファストフードとして日本で人気がありますが、今ではインドネシア、ベトナム、台湾などのアジア諸国はもとより、ロシアなどにも展開され、伝統的な日本の味をたくさんの国の人が賞味しているようです。そのようにマーケットが海外に拡大される過程で商標の冒認がありました。舞台は台湾です。
2007年に、さぬきうどんチェーンを台湾で展開する日本の会社が、台湾の会社である南僑化学工業から、南僑化学の商標(「SANUKI」「讃岐うどん」「さぬきうどん」など14商標)を侵害しているとして警告状の送付を受けました。これに対して日本の会社は、翌08年に台湾智慧財産局(台湾特許庁)にこれらの商標の無効を申し立てましたが、その後南僑化学有利で推移し、知財高裁から最高裁まで持ち上がり、ようやく13年に最高裁で南僑化学商標の無効が確定しました。日本側が勝訴したとはいえ、6年の間に費やされたお金や労力は相当なものであったことでしょう。
何年も前になりますが、筆者の勤める知財コーポレーションでも、中国への展開を考えていた日本のラーメンチェーンから相談を受け、中国における商標出願の代理人(中国特許事務所)を紹介したことがあります。実際の事業展開に先立って商標出願を行いましたので、その後、特に問題なく推移しているようですが、当社の役員が中国出張時にそのラーメンチェーンの看板を目にして入店してみたところ、味やサービスは日本の本家に比べると全く別物だったとのことでした。日本の誇るたくさんのおいしいものが、商標と一緒に職人技とおもてなしの心を伴って、世界各地に伝わっていくことを願います。
◆清野安希子(きよの・あきこ)
国際基督教大学教養学部卒業。教育関連企業勤務を経て、2002年に知的財産専門翻訳会社の知財翻訳研究所(13年に知財関連サービスの拡充に伴い知財コーポレーションに社名変更)に入社。2年間の事務職勤務の後、営業担当として日本全国の大手メーカー知財部とのコネクション構築に注力。15年に中小企業診断士登録。現在は経営企画室長として事業戦略の立案や新規事業開発に携わっている。