マーケティングという概念の導入 営業の三新運動が原点
人は知らない言葉を使わない。とはいえ、知っているつもりで使っているが実はよくわかっていない言葉をよく使う。それでも会話が成り立つのは、互いにその言葉の理解にずれがあっても前後の文脈で話が進むからである。
そんな言葉の一つにマーケティングという言葉がある。販売員にマーケティングとは何ですかと問うと少し考えて「市場調査でしょう」という答えが返ってくる。商品を担当する事業部の人に尋ねると「新商品開発や販売促進でしょう」と言う。確かにマーケティングという言葉は企業経営の全般に関することであり、かなり幅の広い概念である。所属する部門によって理解がまちまちであるのは当然なのかもしれない。
マーケットニーズなどと言って日頃使っているマーケットとは市場や顧客のことである。それにingがついているマーケティングは市場や顧客に関係することであるのは確かである。日本でも有名な経営学者ピーター・ドラッカーは著書の中で「企業存続の基本的な機能は2つある。一つはイノベーション、もう一つはマーケティング」と述べている。
最近、電機部品や機器を扱う営業ではマーケティング営業を取り上げるようになった。セリング(販売力)の強かった長い時代が続いているが、そこから抜け出したいせいかもしれない。マーケティング営業はマーケットに現在進行形のingがついている通りに刻々と変わっていく市場に対応する戦略・戦術として理解できる。
マーケティングという概念の導入は高度成長期に一般消費市場で始められた。消費が旺盛であったから工場でつくられる製品を売り込むための戦術として登場した。製品の機能に価値を求めた消費者にどのようにして自社の製品を売るかというのがマーケティングであったのだ。電機部品や機器市場では1970年頃から旺盛な消費に支えられて、工場の拡張が続き、機械設備の導入が盛んに行われた。
導入される新設備は自動化機械であった。電機部品や機器の市場は右肩上がりに拡大し、新しい自動化設備の出現によって部品や機器類の種類は年々増え続けた。毎日が一体どんな市場が生まれるのか、一体何をつくる工場ができるのかという期待感を持って営業活動ができた時代だった。
営業は売り込む活動をしながらも、新しくできた工場の新しい設備にはどんな電機部品や機器が使われるかを積極的に聞き出した。商売のネタにつながるだけに興味を持って貪欲に聞き出した。そこで仕入れた情報を、同様の設備を持つ顧客を探して売り込んだ。
その時代の営業は増えていく新しい顧客の開拓を積極的に実施し、新しく発売されてくる部品や機器を多くの顧客へ売り込み、売り込み先の顧客はどの個所にどんな使い方をしているのかを知って同様の設備を持つ顧客に売り込んだ。
このような新規顧客開拓、新商品の顧客への敷き詰め、新用途発見と他顧客への展開によって当時は売り上げを伸ばした。後年、この活動は三新運動と言われるようになった。
80年代に入って、国内の工場は数・規模の点で拡大し続けた。装備される機械設備は品質や効率を上げるための新しい技術を搭載した自動化設備になっていた。
このように発展していく市場を目の前にして、営業は拠点・人数を増やし強化した。この頃の営業スタッフはまだまだ販売サービスの域を出ず、マーケティングの中心は営業が担っていたのだ。
営業は三新運動を展開しながらの売り上げノルマ達成であったから多忙だったが、販売店とメーカーはチーム力を発揮して乗り切っていた。70年代に盛んだった三新運動はマーケティングであると同時にディーラーヘルプ活動にもなっていたのである。