販売力一本からの脱出 現場観察で先手を
営業のおもしろさ、つらさはいろいろあるが、特におもしろいと感じるのは営業活動中に新しい物事や知らなかった物事に出合った時である。1970年代から80年代後半にかけて制御業界のマーケットが拡大期にあった時に、営業はまさにそのおもしろさに出合っていた。
当初、顧客開拓のために日々飛び込み訪問するのは、かなり精神的疲れをもたらした。それも慣れてくると、それほど苦にならなくなっていた。飛び込み訪問した客の中には面会を断る人も少なくなかったが、製造業の拡大期という好運もあって、待ち受けてくれた客もそこそこにいた。年々、目を見張るほどの成長が続いた。
だから80年代までは、市場や顧客は拡大するものという前提をもって営業ができた。市場や顧客では何か新しいものが生まれないか、そこに使用する部品はどんなものがあるのか、どんな機器だったら使ってもらえるのか、という好奇心が営業をおもしろくさせた。今では中国にお株を取られてしまったが、日本の製造業は世界の工場という自負を持っていた。
90年代に入ると、一転して超円高に苦しみ出した。輸出をなりわいとしている企業は中国や新興国への工場移転を始めた。海外移転ブームが湧き上がり、輸出を主としていない企業までもが工場移転を模索するという具合だった。国内の製造業の拡大に終止符が打たれた。
その結果、拡大成長が当たり前で走ってきた部品や機器の営業は先行き不透明感にさいなまれた。その不透明感を払拭するため、営業は担当地域の顧客への訪問を片っ端から試みた。市場の大きさはいつの間にか営業が把握できないほどの広がりを見せ、製品や製造に使用される部品や機器が一体どこに、どんな形で使用されているのかがよくわからなくなっていることに気づいた。
拡大成長期を過ごしてきた営業には顧客や市場を走り回るという習性が身についていた。その習性をもって担当地域にある顧客を全て把握しようと動き回った。かつては市場や顧客が小さかったため全体を把握できていたのであるが、膨大になった市場をも把握しようとするエネルギーがその頃の営業には残っていたのだ。
走り回るという行動も、90年代中頃になるとパソコンソフト、通信技術の発展が著しく、情報時代への突入で鳴りを潜めてしまった。ほとんどメールで済むし、パソコンデータを見ればいいし、ウェブサイトを見ればわかる、という安心感のような経験を重ねて、営業から市場や顧客を歩き回るという行動力が姿を消した。
そのような行動力に代わって、商品研修や業界知識習得、あるいは理論的売り方研修などが多くなった。そして営業に求められる役割は販売力(セリング力)一本と言っても過言でなくなって21世紀へ突入したのである。
営業にもマーケティングの役割を求められているとすれば、競合商品を発見することぐらいである。本来のマーケティング営業とは質・量ともにかなりかけ離れてしまっている。マーケティング活動を担当部門に委ねた営業は販売力に磨きをかけ、その結果顧客からの依頼なら確実にスピードをもって対応できる半面、市場や顧客に対する感度は弱くなっている。
成熟度を増し情報化が深まっている社会では、製品のサイクルは速くなり、広がりを見せている。そのため製造形態は多様化が進み、一緒くたにはできなくなっている。このような時代の販売店営業は、戦国時代の入り口にいるようなものである。
戦国時代の小勢力は大勢力に勝負を挑む時、先手を打ち相手を混乱させて勝つことである。小勢力の販売店は販売力一本から脱し、現場をつぶさに見れば先手の打てる情報がたくさんあることに気づくはずだ。そういう時代に入っている。