業界の常識を疑おう “顧客側の非常識”見極める
最近、東京・銀座の老舗で売り上げを伸ばしている店があるという。その店から端を発して広がった言葉がある。「業界の常識は顧客の非常識」という言葉である。
銀座の店では高級感を漂わせるために、アパレル系の洋装や呉服の高価な一点に正札をつけて、他の展示品には正札をつけないで高価そうというイメージを醸し出す常識があるそうだ。その常識を覆し、高価であるが全てに正札をつけて成功している店があるという。
このようなことは何も銀座だけに限ったことではない。電気部品や機器商品を扱う業界にも常識が顕著に根付いている。機能はアップ、品質は維持して価格が割安になっている商品は売れるという常識である。機能や品質に関することは工業製品としての原理・原則のようなものだから当然と思われるかもしれない。
そもそも常識とは時代背景や社会環境によって変わっていくものであるが、原理・原則とは時代や環境を超えた観念を持つものである。その点に立てば工業用だとしても製品である以上、マーケットの需要に左右されるのだから原理・原則とは別ものだと言えるのである。だから銀座で成功している店のように、原理・原則だと思っていた常識を疑ってみることも必要だ。
銀座とは日本の戦後の復興と関わりをもつ存在である。銀座は戦後復興の先駆けを表現した街であった。戦後の復興が進むにつれ人々の気持ちは華やいでいった。その華やいだ雰囲気を汲み取った街が銀座であった。街を華やかに装って、人々をひととき夢の中にいるような気持ちにさせ、いつかこの銀座でショッピングがしてみたいと思わせる街になっていった。
復興が成って東京オリンピックが過ぎ1970年代に入っても、銀座に出かける時は普段着から小綺麗な服装に着替えていくという風習は残っていた。そのくらい銀座は高級感を醸し出していたのだ。だから銀座は高級感を味わい、高級品を買う街という常識が根付いた。銀座四丁目にマクドナルド一号店ができたが、現在のマックのイメージとは程遠く、アメリカから渡ってきた先進的で、オシャレな店というイメージであった。だから当時のマックは銀座に似合っていた。
やがて、バブル景気がはじけた頃から銀座の中央通りに牛丼チェーン店が出現した。その頃から銀座を行き交う人々は、小綺麗な服装に着替えないで普段着のまま銀ブラする人が多くなった。
現在の銀座は高級ブランド店や高級老舗が華やかに街を彩っていて、銀座の高級感は健在である。銀座通りを行き交う人々は海外からの人も多く、日本人も特別、服装に気を遣って、気取って歩いている人は少ない。それでも上流階級にでもなった気分で買い物ができるのが銀座だ。そのような街を演出し、正札をつけないで高級感を出すのが銀座の常識だったのだ。
しかしウィンドウショッピングをしていた人々が少しずつ店の中に入って来ていることを感じたある老舗が、全てに正札をつけ、それでも買えるんだという自尊心をくすぐって成功させた。銀座の常識は時代が変わって顧客側の非常識になっていたのだ。
電気部品や機器商品の業界での常識はエンドユーザーや製品メーカーの非常識になっていないか。部品や機器は年を追うごとに機能が増え、シリーズ化されて出てくるし、デジタル化・電子化・複合化されてきている。それらの流れは時代と共に歩んできているが、それに乗らないのは後れた商品、ローテク商品という常識は本当に正しいのか。
一体、製品メーカーはどんな思いで部品や機器を採用しているのか、最終的なユーザーは何を求めているのかを知れば、それまでの常識が変わることだろう。それには現場に密着している販売店の目が必要だし、その目や感性の育成もディーラーヘルプの役割である。