販売店冬の時代 健全な精神で変革を
東京オリンピックもあと二年半に迫っている。戦後復興の象徴だった半世紀前の東京オリンピックの頃と比べれば、経済的規模は隔絶している。
当時、1960年代に高度成長は続いていたとはいえ、日本製のモノの品質は安定的ではなかった。米国のデミング博士が提唱した品質管理手法を製造業ではこぞって取り入れ始めた頃だったので、学生就職希望のランクは保険・金融・商社の人気に比して低かった。
特に、世界を股に掛けて飛び回るビジネスマンの姿を彷彿とさせた商社マンの人気は高かった。ないところから成長することと、あるところからさらに成長することには大きな違いがある。それは熱気のすごさの違いである。現代と比較するとそれがよくわかる。
当時、商社に憧れを持っていた就職希望の学生は、世界の大都市を飛び回る格好の良さを思い描いていただけではなく、日本を豊かにするんだという志のようなものを持っていた。まだメイドインジャパンは安かろう悪かろうのイメージが持たれていた時代ではあったが、商社マンになって、世界中に出没し日本製品を売るんだという熱気があった。
製造業ではデミング賞の創設がきっかけとなり、品質管理へのチャレンジ熱が広がった。無から有へのすごい熱気は品質向上の運動をさらに押し上げて、現場では欠点・欠陥のゼロを目指したZD(Zero Defects)運動が盛んになった。品質向上の熱は、さらに品質第一を掲げたQC(Quality Control)活動へと発展した。QC活動では製造現場単位でQCサークルという小集団を結成し、自発的に現場の品質に関する課題を出し合って解決するという熱の入れようだった。
こうして現場の改善活動は現場の士気を高め、チームワーク力を上げる役割を果たしてきた。QC小集団活動のような自発的改善活動は世界に類を見ないものであり、日本製の品質が世界の一級品として認められるようになったのは、QCサークルのような現場力が大きな原動力になったことはよく知られている。
品質が世界の一級になっていく過程で、商社マンは深田祐介の著者にある「革命商人」や「炎熱商人」のように、世界の津々浦々に日本の良品を売った。やがて、強くなったメーカーが直接販売や海外生産拡大を行うようになると、日本の良品に頼ってきた商社の仲介貿易は一転して暗雲に乗り上げた。
こうして低迷を続けた商社を、マスコミは「商社冬の時代到来」と言って騒ぎ立てた。しかし、総合商社のその後の復活は知るところである。現在の総合商社は売買仲介型から事業投資型ビジネスというダイナミックな変革を行って、売上額ではなく付加価値にこだわる企業形態をとっている。
日本は明治維新によって短期間で近代化を成し遂げたのであるが、その実は江戸時代に仕事や教養に向かう勤勉性というものを育んできた文化があったから短期間でできたのである。同じように、総合商社の復活劇には情報の質量やマーケティングや豊富な資金があっただけではないはずだ。
龍馬以来の熱気を持った商社マンが世界の津々浦々を駆け巡り、異文化に接して目先の利益になる情報のみが情報でないことを知ったし、また、情報の重要性が身体に染み付いたのである。そのような商社の健全な精神が根底にあって、時代に合わせた変革が可能となったと思う。
日本経済は再びの成長路線を目指して動き出しているが、国内では以前のような大型設備投資は少ない。設備投資に左右されてきた制御系販売店は、以前と同じような営業スタイルであれば販売店冬の時代が続く。
そんなところから脱したい世間の空気がロボットだ、IoTだという旗を振っているが、販売店の健全な精神は顧客を見続けることにある。顧客の本当の目的は一体何なのかをつかむ力がついてこそ、販売店冬の時代を脱することができるのだ。