2018年は、中小製造業にとって「人手不足対策の実行元年」となるだろう。今日の中小製造業は、過去に類を見ない活況状態に湧いている。しかし経営者の多くが、活況の喜びとは対照的に『将来的な懸念』を強く持っているのも事実である。中小製造業を取り巻く外部環境を整理してみると、現在は驚くほどの好材料がそろっている。
セミコン業界や建機業界など、かつては好不況の山谷が激しかった業界も、安定業種に変貌し、歴史的な好況状態が続いており、さらなる安定成長が予測されていることは特筆である。デジタル乱舞とも言えるセミコン業界の好況は、スマホとIoTなどの台頭により、需要が増大し、新製品への入れ替えサイクルも大幅に短縮した結果、景気の機関車役に躍り出てきた。また、内需インフラ投資や中国の公共投資の影響で、建機業界も大繁盛で、数年前には予想もできなかった。恒例の賀詞交歓会において、業界トップや業界重鎮から、想像を超える威勢のよいスピーチが聞かれ、明るい雰囲気に包まれたのも特筆すべきことである。
しかし、明るい外部環境にも不安の影が見えてきた。正月から2カ月も経たない間に、コインチェックの仮想通貨流失事件に始まり、米国株の急落や超スピードでの円高進行など異変が続き、潮目の変化を予感させる雰囲気すら漂っている。特に円高は非常にヤバイ。好況業種の突然の凋落に見舞われても不思議はない。本原稿を執筆している本日(2月16日)現在で106円。新聞発行日以降にもさらなる円高進行なら、本当にヤバイことになる。お正月に乱舞した好況ムードも吹き飛び、輸出依存の大手製造業は軒並み下方修正し海外シフトに逆戻り。中小製造業の好況感は消滅し、再び暗黒時代が訪れるだろう。しかし、中小製造業経営者が最も警戒する課題の本質は、外部環境の変化ではない。
当社は、この数カ月で120社の中小製造業経営者を対象に、経営課題に関する独自調査を行った。その結果によると、懸念する経営課題の№1は、『人手不足への対応』。2番目は、『海外(特にアジア)企業との競争』であった。中小製造業での人手不足は深刻化を極めている。優秀若手人材の採用は絶望的。海外労働者に希望をつなぐが、万策尽きて廃業に追い込まれる企業も続出している。また、人手不足はますます『労働生産性の大幅低下』を招きかねない。
OECDデータでも明らかな通り、日本の労働生産性は、主要先進7カ国で最下位。日本の製造業の労働生産性は、この20年間下降を続け1995年以降では最低の14位である。深刻な人手不足が命取りとなる事を、中小製造業経営者は懸念しているのである。中国・アジア諸国との競争も想像以上に過酷である。アジアでは、猛烈な設備投資とデジタル化が進む成長企業が続出し、日本のものづくり優位性は減少の一途である。このような懸念を肌感覚で感じ、未来に危惧を抱く中小製造業経営者の本音は安らかではない。
『IoT/デジタル化・ロボット化こそ人手不足の対応策』の論理は間違いではなく、中小製造業経営者も十分理解しているが、その具体的実現が容易ではない。
ところが、ここに特効薬というべき『最新鋭武器』が登場し、今時代の話題となっている。その名は、RPA(Robotic Process Automation=ロボティック・プロセス・オートメーション)。ロボットとの名前がついているが、コンピュータに入るソフトロボットであり、従来は人間が行っていた作業を、人に変わって自動で行うロボットである。昨年度から今年にかけて、銀行などの大企業ではRPAのプロジェクトが大流行し、具体的導入も急速に進み、人員削減に膨大な成果を上げており、この勢いは爆発的に強まっている。
茨城県つくば市をはじめ、自治体でもRPA導入機運が広まっている。RPAは、技術的にはルールエンジンや人工知能の最新技術によって誕生したソフトロボットであるが、最大の特徴は、誰でもどこでも簡単に導入でき、簡単に効果を発揮できる。現在の業務ルール変更なくして、人手作業のみを開放する『夢のツール』と呼んでも過言ではない。
中小製造業においても、受注出荷処理や生産手配など、従来人手に依存した膨大な作業の大幅合理化が可能であることが、当社の調査で明確となっている。数年前から叫ばれてきた『IoT/インダストリー4.0/人工知能』など中小製造業経営者にとって時には『絵空事』と思える将来構想を、現実的に即実行し、即効果につながる特効薬がRPAである。RPAは、『間接工数の肥大化が指摘される日本の製造業に、最もマッチする特効薬』と明言できる。日本の中小製造業の生き残り戦略の最大テーマは『RPA活用』であり、この方策知らずして未来なし。とんでもない特効薬が誕生した。
当社では、中小製造業に特化したRPA活用相談を受け付けている。問い合わせは(a-tkg.com)まで。
◆高木俊郎(たかぎ・としお)
株式会社アルファTKG社長。1953年長野市生まれ。2014年3月までアマダ専務取締役。電気通信大学時代からアジアを中心に海外を訪問して見聞を広め、77年にアマダ入社後も海外販売本部長や欧米の海外子会社の社長を務めながら、グローバルな観点から日本および世界の製造業を見てきた。