超有名企業による「粉飾決算による損失飛ばし事件」もつかの間、大企業の「品質偽装」が世の話題をさらった。直近では、財務省の文章改ざん問題が話題の中心となり、政権転覆まで噂される緊急事態となっている。日本全体に、信頼が失墜する『神話崩壊』が蔓延し始めている。品質偽装問題は、日本のものづくりの根幹を揺るがしている。
QCD(品質・コスト・納期)はものづくり企業での競争力源泉であり、優れた日本品質は常に世界をリードしてきた。5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)と熟練工の魂の入ったものづくりは、日本の誇りである。この日本品質が、品質偽装によって国際的信頼の失墜につながったことは、日本の悲劇といわざるを得ない。しかし筆者は、大手企業の品質偽装を擁護するつもりはないが、本来の品質対策を超越した『過剰な品質義務』が、不幸な事件に発展してしまった側面も無視できないと感じている。
この品質問題は中小製造業にとっても大きな転換を余儀なくされるだろう。大手製造業各社は品質偽装に神経質になっており、中小製造業にもさまざまな要求を突きつけてくるだろう。『良いものを作ろう!』といった品質要求だけでなく、『品質のマニュアル化』に重点がおかれた要求が強くなると思われる。中小製造業は依然として受注好調の好景気状態が続いて、人手不足は深刻化を極め、機械増設による生産増強を計画しても、それを運転する人材が確保できず、成長の大きな阻害要因となっているが、品質のマニュアル作成と運用にますます人手がかかる危険性が増している。マニュアル化、人手不足、生産性向上が中小製造業の喫緊の課題といっても過言ではない。
今回は、中小製造業『品質のマニュアル化』に焦点を当てつつ、人手不足と生産性向上への具体的アプローチとしてのISO9001の意義とデジタル化・IoTの重要性について掘り下げていきたい。ISO9001の歴史は長く世界中で受け入れられているが、日本の中小製造業において、ISO9001はすこぶる評判が悪い。大手の過剰な品質管理義務と同様、ISO9001で要求される数々が、中小製造業にとって過剰な要求であり『面倒くさい』と認識されているからである。
最近では、ISO9001の認証維持に必要な維持審査(サーベイランス)にかかる人材と時間、そしてその費用に疲弊する中小製造業が数多く存在し、根深い問題になっている。ISO9001の品質マネジメントモデルの導入は、不良率の減少、コスト低減や返品率の低下など、経営に直結する効果があり、そのメリットは大きいが、その半面で導入への膨大な工数と、膨大な紙に埋もれた運営が余儀なくされ、ただでさえ低い労働生産性をさらに悪化させるデメリットが存在しているのも事実である。
また実際のところ、苦労してISO9001認証をとっても、ビジネスにはあまり有効ではない。もちろん、海外の自動車メーカから仕事を取りたい……などの経営判断があれば、ISO9001に加え、IATFなどの認証が必要であるが、通常のビジネスではISO認証は必ずしも必要ではない場合が多い。従って『ISO9001が形骸化している』と感じる経営者が数多く存在するのも事実である。しかし日本の中小製造業にとって、ISO9001を軽視することは得策ではない。ISO9001導入のメリットは「マニュアル化の構築」であり、この仕組みを導入することで熟練工依存の体質から脱皮する大きなきっかけとなる。
しかし不幸なことにISO9001は、日本の中小製造業にとって決してなじみやすいものではない。特に「QC工程表」や「標準作業手順書」を作成し、膨大な紙のマニュアルを管理・運営することの難易度は、熟練工依存の中小製造業においては『現実離れ』である。「短納期・多品種少量生産」が進行する現状において、マニュアル化のための作業工数は膨大で、かえって生産性向上の足を引っ張る危険もある。
このように、導入にはさまざまな困難がつきまとうが、これを導入することが結果的に人手不足と生産性向上の対応策となる。日本のものづくりは少子高齢化によって熟練工が減少し、将来的には外国人労働者に依存することも十分有り得る。『マニュアル化の実現なくして未来なし』が、中小製造業の現実である。
ISO9001を積極策に導入する経営判断が必須であるが、さまざまな困難を打破し、積極的な導入を実現するためには、デジタル技術の活用・IoT推進の道を避けては通れない。人海戦術に依存せず「QC工程表」や「標準作業手順書」などを、自動もしくは簡易操作で作成し運用する仕組みの導入が、中小製造業の勝ち残りに必要な戦略である。経営者自らが、ISO9001とIoT推進の旗を振り続けることが、中小製造業の未来を切り開く鍵である。
◆高木俊郎(たかぎ・としお)
株式会社アルファTKG社長。1953年長野市生まれ。2014年3月までアマダ専務取締役。電気通信大学時代からアジアを中心に海外を訪問して見聞を広め、77年にアマダ入社後も海外販売本部長や欧米の海外子会社の社長を務めながら、グローバルな観点から日本および世界の製造業を見てきた。