「岡目八目的」に見れば…
顧客は生命でなく市場
事の当事者よりも第三者の方が情勢を正しく判断できることを「岡目八目」と言う。
ひと昔前に日本の社会は工業化社会と言われていた。工業化社会と言われていた1970年代に電気や機械技術の発達によっていろいろな製品が生まれた。それらの製品を自動制御で作ってしまう便利な世の中になったという実感はあったが、当時の人はこれが工業化社会だとは言っていなかった。
工業化によって社会がより豊かになり、やがて「ポストインダストリー」という言葉が生まれた。次に来る脱工業化社会を意識した時、つまり対比できる社会があることを知った時に、これまで過ごした社会は工業化社会だったと言い出した。
平成生まれの人たちは、学ぶこと・遊ぶこと・コミュニケーションをすること等、何でもネット上で行うことが当たり前の世の中だと思っている。前の工業化社会と対比して、これが情報化社会だと実感して生活しているわけではない。
しかし工業化社会に生きてきた人は、現在の社会は何でも検索ボタンを押せば済んでしまう、コミュニケーションも楽にできる便利な情報化という社会になっていると実感できる。現在の社会に生きる平成生まれの人は当事者であって、昭和を過ごしてきた人は第三者的立場に立っていることになる。
岡目八目は当事者より第三者の方が情勢を正しく判断できるというが、当事者より選択肢を多く持つことができるだけであって、正しい決心ができることとは別のことである。それでも当事者より第三者は比較できる多くの経験を持っていることは否定できない。だから当事者は岡目八目的第三者に耳を傾ける必要がある。
電気業界には多くの販売店がある。販売店にとってはいつの世も「顧客は生命」である。工業化時代の入り口の頃は「お客さまは神様です」という時代であり、とても大事に関係づくりをした。商品にクレームが発生し、メーカーと同行して顧客との打ち合わせに入った時に、どちらかと言えば顧客側に立った発言が多かった。
工業化旺盛時代になると、販売店は一見するとそれまでとは変わって、顧客との関係よりは取り扱いメーカー寄りになって関係づくりに力を注いだ。この時代ではメーカーのつくり出す新商品が顧客を増やしてくれる立役者であることを知っていたからである。
だから販売店にとって顧客こそが生命であることに変わりはなかったのだ。顧客をつかんでくれて、顧客を増やしてくれるメーカーの商品に販売店がますます魅了されていったのが工業化旺盛の時代だった。
その後販売店はマーケットや顧客寄りから商品寄りになり、現在はその延長線上にある。顧客を固定してしまえば商品寄りになって、顧客の課題解決・ソリューション提案などのように商品に関わる技術やシステム的知識などへ向かうことになるのは当然である。しかし、それでは現状の顧客を大事にしていることが「顧客は生命」ということになってしまう。
かつて草創期に言っていた「お客さまは神様です」の「お客」とは、顧客単体でなく顧客を含む市場であり、顧客は生命だから少ない顧客を増やすのだということだった。工業化旺盛の時代を通り抜けた時に商品が顧客をつくることを肌で感じて商品偏重の様相となった。商品偏重という手段を強化しても顧客が増えていたため、顧客とは単体でなく顧客を含む市場であったのだ。
情報化時代と言われている現在では、「顧客は生命」とは「固定顧客は生命」ということになっているように見える。業界の草創期から現在に至る流れを岡目八目的に見ると、販売店の成長に関わる「顧客は生命」についてもう少し深く考えた方が良いことになる。