IoTや超多様性の世界
第3次ローラー作戦必要
東京オリンピックが2年後に迫ってきた。競技施設・ホテル等の建設や交通インフラの整備で大きなお金が動いている。前回の東京オリンピックの時とは国の経済規模が違うため、動くお金が大きい割には当時のような東京中が好景気に沸き、騒がしい様子はない。
1964年の東京オリンピック時のGDPは30兆円弱しかなかったから、その影響力の大きさは明らかである。日本の高度成長が始まったのは50年頃からで、人口の流れは大都市へ向かい、大都市への人口集中が始まった。国はこれを是正するため62年に地方創生策を打ち出した。それが「新産業都市建設促進法」だった。税制が優遇されて、工場が地方へ移り出した。
64年の東京オリンピックは、その頃の沸騰する日本経済の証しであったのだ。さらに72年には「日本列島改造論」が発表された。すでに日本の生産力のポテンシャルは新産都市へ工場を建てないとやっていけない状態にあったため、列島改造論はその後押しとなって、日和見的な企業もわれ先にと工場を新産都市に建設し出した。それらの工場は最新鋭の自動機で装備されていたから設備投資金額も多大に上り、高度成長を大いに支えた。
電気部品、制御機器を扱う営業では、地方進出を計画し、どのくらいのポテンシャルがあるのかを知ろうと調査を開始した。現在の営業ではローラー作戦という行動をあまり取らないが、この時代では情報は営業が走り回って目と足で取るものであった。ある地方に拠点を出す時には営業でチームをつくってその地域にある工場を軒並み訪問し内容を探った。これをローラー作戦と言った。情報化時代の現在では考えられないことである。
このローラー作戦という活動は販売員にいろいろな営業スキルを身につけさせることとなった。当時は作戦が終わると販売員同士で「新規に飛び込んでいく度胸がついた」などと会話していたが、実は多くの新規の客筋を訪問するうちに、観察力・表現力・傾聴力・好奇心や質問の仕方などの基礎的な営業能力が身についていたのである。
現在の販売員は情報を入手するためにこのような苦労をする必要がない半面、基礎的で重要な営業能力を身につける機会がないようだ。列島改造論に乗って地方へ進出しようとして実施したローラー作戦だったのである。メーカーの拠点開設時は展示会を開催した後に営業所を開設するのが一般的だったが、販売店はローラー作戦の結果で営業所を開設するのが一般的だった。
ローラー作戦に慣れていた当時の営業は、その後に画期的な新商品が発売された時や戦略的商品の敷き詰めを意図した時などに小刻みなローラー作戦を実施した。この時はメーカー営業と販売店営業の絶妙な協力が功を奏した。
第2次の大規模ローラー作戦は90年代前半に行われた。超円高に襲われて企業が海外へ生産拠点を移した結果、国内設備投資の先行きが不安定になった。それまで毎年、売上拡大は当たり前のように思っていた電気部品や制御機器の営業の間であいさつ代わりに使っていた文言が「先行き不透明」という言葉であった。不透明なのは先行きだけでなく、知らないうちに不透明なほど膨大になってしまっていた設備市場を販売員の目と足で徹底的に見て打開策を考えようとしたのが第2次の大規模ローラー作戦であった。
その後はローラー作戦をほとんど見かけなくなった。情報をメディアやネットで取るという時代を反映しているのだろう。しかし昨今急に言われ出したIoTの世界や超多様性の世界は製造業にかなりの影響を及ぼし出している。こんな時には大規模な第3次のローラー作戦の必要性を感じる。