サービスも戦略性が必要
営業マンの時間過剰は要注意
日本では、おもてなしという言葉が流布していることでもわかるように、サービスの文化をつくってきた。この文化は日本人の真面目さや勤勉さの表れであると言われている。
昨今、この真面目さや勤勉さがあだとなって、サービス過剰になってしまうというケースが多々みられる。「衣食住足りて礼節を知る」という故事があるが、足り過ぎると副作用が起こるらしい。
競争社会の中では、サービスは一つの勝ち抜く手段である。先手を取った企業は余裕をもって、サービスを充実させる。業界が成長すれば参入社は増える。参入社は、低サービスだが低価格でシェアを奪いにくる。シェアの減少を防ぐために同じように低サービス、低価格にはできない。さらに、客の歓心を引きつけるために価格は下げるわけにいかないからサービスを向上させる。サービスは原価的に目に見えないし、客の歓心を買うために懸命にやってしまう。やがて余裕がなくなると、他の仕事で手を抜くようになる。
競争に勝つためにサービスを唯一の武器にするようであれば、いずれ何社か消えていくか、価格を上げて健全なサービスに戻すか、になる。何事も過ぎたるは及ばざるが如しである。
従来はサービスの競争を含めて、各社の競争は業者間のあうんの呼吸で調整されていたようだが、今やグローバルの社会である。海外勢の攻めにも考慮しなければならない。国内の同業者の腹の探り合いは効かない。コストを考えず、サービスをすることだけでは解決しない。サービスも戦略性が必要だ。そのため、狙いのマーケットを決めて、そこのユーザーに沿った価格やサービスをミックスして決めていかなければならなくなってくる。
製造業で使われる機械装置や機器類は、性能や機能の良さで競争をしている。したがって性能、機能が良ければ良いほど、良い製品のはずだから、サービス過剰的な考えは割り込むスキがないとタカをくくっていると意外とそうでもない。
価格は据え置きにして目新しい機能を追加し、競合他社との差異化にせっせと励むが、マーケットでの使い方が一緒であったなら、知らず知らずのうちにサービス過剰的な製品を造って売っていることになる。そのことは海外から入ってくる製品を見て気付くのである。
部品や機器の場合も同じことがいえる。海外の部品や機器は、安いが悪いと決めつけている。確かにそういう商品もあるだろうが、今では部品や機器がその寿命やその機能でもよい市場があるためつくられていることを知るべきだ。その仕様で間に合う市場にとっては、性能・機能のある日本製の部品や機器は、サービス過剰ということになる。したがって、海外の商品で間に合う市場が日本にあるなら、サービス過剰な分、価格は割高になって日本製は負けるのは必定なのだ。市場や客先の身の丈に合った製品や部品が一番という考え方がグローバル的ということになる。
機器や部品の販売店は元来がサービス業であるから、競合他社より良いサービスを心がける。しかし余裕のある経営をしているわけではないから、経営の原資以上の過剰サービスは起こりにくい。
問題は、販売店の営業マンのサービス過剰懸念である。このサービス過剰は営業力不足をカバーするために起こる。営業マンにとって時間は売り上げに大いに関係する。
顧客の歓心を買うために余分な時間を使っていることがある。顧客となあなあの関係になっていると、ちょっと調べればわかることや明日でもよい事をすぐ来てくれとねだられる。時間のサービス過剰は費用に発生しないので見えない。過剰な分、新規の顧客開拓する時間が不足し、明日の売り上げに響くことになる。