世に出ている人物伝やサクセスストーリーなどには、ある人の言葉で気付かされたり、人生が変わったという記述が必ずと言っていいくらいに出てくる。また日本人は言霊信仰のようなものを持っているから、言葉をおろそかにすることはない。それほどに言葉は大切に思っている。
人と接触する販売員にとって言葉は大切なものであり、その言葉を使った会話の良しあしで営業の業績が左右される。だから、販売員にとって会話は宝である。会話のできる販売員とは、言葉巧みに口八丁手八丁で商品を売る販売員ではない。口八丁手八丁と言うと、相手を丸め込んで商品を売る不誠実さを連想してしまうが、そのような販売員は機器や部品営業にはまずいない。むしろ商品のことや会社案内のことを誠実に説明するのがほとんどである。
本来、販売員と新規見込み客は、説明より会話の流れをつくってコミュニケーションでつながるのが一般営業だ。確かに説明はコミュニケーションには違いないが、見込み客や顧客とのコミュニケーションの王道は会話である。この業界の販売員は説明はうまくても会話の上手な人は少ない。商品知識等の知識偏重型の営業教育は販売員から会話力を奪っているようだ。
説明は知識が大切だが、会話は相手の感情が大切になる。だからコミュニケーションを構成する説明と会話は別物である。既に顧客になっている人には説明力は大切だが、これから開拓していく見込み客には説明力より会話力が求められる。顧客数が増加しない現状でも会話力に焦点が当たらないのはどうしてだろうか。その理由はいくつか考えられる。
①営業は時間の経過とともに多くの人に会うから会話力が付くだろう ②営業の会話力はその人に備わった資質による ③商品の説明力を会話力であると思っている ④商品の説明や顧客からの要望をそつなくこなせば会話というおしゃべりはいらない。
以上のような考えでは会話の重要さが浮上してこないのだ。
まず①の理由であるが、営業を長く経験し営業に慣れたからといって、会話力は身に付くものではない。経験の質によるからだ。現状、この業界の大半の中堅販売員は同じような経験しかしていない。種々数々の修羅場をくぐっていない。つまり顧客ありき、知識偏重で育った販売員は商品知識、システム構成知識等は付いていて、欲しがっている顧客にはそつなく説明する。そしてこれらの件数を稼ぐほどに説明はうまくなる。したがって、③の説明のうまい中堅の販売員を会話力があると誤解してしまうのだ。
このような中堅の販売員は新規の見込み客に出会って、いざ営業活動をすることになるとうまくなった説明が主体となってしまい、会話といってもせいぜい天候のあいさつや世間一般の話しかできず、説明した商品やサービスに相手があまり興味を示さないと戸惑ってしまう。見込み客は顧客ではない全く別物ということがわかっていないし、会話の重要性を経験してこなかったからだ。
販売員が行う会話には、世間一般の雑談とビジネスに関するものがある。中堅の販売員と同行する新人販売員は「先輩は顧客といろいろ話ができてさすがだ、自分も早くそうなりたい」と思いをはせる。それらの話は一般的雑談か案件、用件の類いである。つまり顧客だからできるのであって、見込み客には通用しないのだ。
見込み客とのコミュニケーションはビジネス上の会話でなければならない。ビジネス上の会話といえば案件、用件の類いだけではないし、商材やサービスに関することだけでもない。見込み客は毎日いい仕事をしようとしている。そこの部分をわかりたいと思うところから、ビジネス会話の糸口が見えてくる。