平成も後期にはIT技術の実用化が進み、社会システムや社会インフラが大きく変わり始めた。産業設備を主力のマーケットにしている機器部品営業は、社会の変化の割にはその売り方に大きな変化は見られない。
世間で言われている失われた20年が、国内の製造業に与えた影響は大きかったからだ。海外への設備投資の活発さとは裏腹に国内への設備投資は小さかったため、現場の成熟化が長らく続いた。そのため競合が激しくなり、販売キャンペーンは競合打破のイメージが強く、そうした競合切り替え型営業が定着してしまった。
一方、商品の方も競合商品にない機能を加えたものがシリーズ品として次々と発売されたが、これらの商品の多くは現場にとって目新しいものには映らなかった。国内の設備投資がダイナミックさに欠けたことに加え、販売する機器部品に斬新的な変わり映えが見えられなかったことが、売り方を競合切り替え型に固定させてしまったのだ。
日本のGDP拡大が止まったのは平成7(1995)年である。競合切り替え型営業は、GDP拡大が止まって1〜2年頃から主流となった。この20年の間に社会インフラは様変わりし、販売員の環境は大きく変わった。パソコン、携帯、タブレット、スマホ、それに物流が次々と変わって、その環境に慣れて使いこなすことでいっぱいだったからなのか、販売戦術らしきものは見えてこなかった。もちろん、平成期の営業にも戦略戦術はあったのだろうが、販売員からは競合切り替え営業という戦闘だけが見えて、戦術や作戦に参加しているという姿は見えてこなかったのである。
ところで、70年代から始まった機器部品の拡大成長期の営業ではどうだったのか。拡大する市場と次々に登場する目新しい機器部品を背景に、販売戦術や作戦が実施された。販売員はそれらに参加して戦闘を行った。販売員個人個人がバラバラに戦闘的売り込みを行っても、マーケットに対して良い効果が与えられなかったし、マーケットの補足ができなかったからだ。
昭和の成長拡大期における販売員売上額の構成を見ると①既存客からのリピート売り上げ②案件決着売り上げ③テーマ発見決着売り上げで、このテーマは現場で新たな用途の発見だったり、数カ月先の設備テーマの発見によって出てくるものであった。④新規開拓客先の売り上げであった。
平成期ではどうかと言えば、①と②がほとんどであったし③のテーマ発見決着売り上げはほとんど②と同様のものであり、その他のテーマと言えば競合使用や競合検討を発見してテーマ化するのがもっぱらであった。その意味では昭和期のテーマ発見活動による売り上げとは違っていない。④に至っては非常に少ない。なおかつ積極的に訪問開拓するのでなく、ネットからの依頼や見込み客からの依頼を受けたものが大半である。日々変化していく現場を目の前にした昭和の成長拡大期には作戦は多かったし、それらの作戦に積極的に参加することが売り上げにつながるのだと販売員は実感していた。
作戦の例を挙げると、①ローラー作成=地区とテーマを決めて、参加メンバー全員でその現場に一斉に訪問し、情報収集活動をする②新商品カタログ敷き詰め作戦=持ち地区、または顧客の全ての現場にカタログを届ける③三新運動展開=“新”商品をくまなくPRし、“新”しい客または現場を広めて、機器部品の“新”しい用途を見つけて他の現場に横展開するというような戦術である。
その他、訪問軒数や回数、それに客先滞在時間を競うような作戦が常時実施された。増えていく客や現場、増えていく商品は販売員に熱気とやる気を与えていた。平成で育った販売員は、令和にどのような営業の道を進もうとしているのだろうか。