現在の機器部品販売員が顧客や見込み客を訪問する時に面会する相手は概ね、電気系の技術者であり、メカ系技術者は少ない。前回の東京オリンピックが終わった1960年代半ばの製造現場は、機械課とモータやボイラーなどの扱う動力課が製造技術を担当していた。電気課は受配電設備と工場内の電気設備に係る電気工事を主としていた。
したがって、当時の販売員は機器部品を広めようとして機械課を訪問した。製造業が著しく成長した時代であったし、世間では手に職を付ければ食いぱっくれがないと言われた時代であったから、就職率の高い工業高校に人気が集まった。とくに機械科の競争力はずば抜けて高く、中学で成績上位の生徒しか入れない学科だった。
機械科を卒業して製造業に入社すると彼等を待っていたのは先ず研修であった。その研修の第一歩は各県にある工業試験場が行った。当時の工業試験場は金属加工に関する技術研究が盛んであり、権威をもっていた。ちょうど農業試験場が品種改良や農事一般の研究開発をして農家の指導的立場であったように、工業試験場は民間の製造現場よりも高い技術を有し指導的立場にあった。試験場の技官は機械のことや金属材料に精通し、製造現場よりも多くの技術や情報を持っていた。やがて製造現場に自動制御の機械が入って、機械化生産とは違う新しい生産現場に変わった。現場は商品開発に機械系と電気系技術者で構成された生産技術課という新組織が作られ、生産全般の技術力を高めた。この時点で民間の生産現場の方が官の工業試験場の持つ情報や技術を凌駕し、多くの情報や技術を有するに至ったのである。
製造現場は積極的に自動制御化を進めた。自動化を支えた機器部品メーカーは商品開発に取り組む過程で製造現場を熟知し、生産力増強、生産効率や品質向上には欠かせない商品を次々と開発した。平成になって機器部品メーカー同士の熾烈な競争により、商品の機能・品質は一段と向上した。その時点では、機器部品メーカーは製造現場の技術陣よりも生産性向上に関して多くの技術的情報を持つに至った。このような背景があったからだろうか、販売員は「お客様が満足される商品の紹介に参りました」と、胸を張って製造現場の技術者を訪問するようになった。
しかし、平成も終盤になって現場の環境は変わってきた。令和に入った今は現場の事情をよく見なければならない。BtoCのマーケットではすでに前から言われているが、「昔のように多くの情報は供給者であるメーカー持っている時代ではなく、今は消費者が多くの情報を持つ時代である」ということである。確かに一昔前にはメーカーは消費者が欲しいと思う機能を付けて次々と商品を世に出してマーケットを誘導した。現在の消費者は一元的ではなく多様化しているため、消費者の潜在情報を吸い上げなければ商品は売れない。
つまり、多くの情報は供給メーカーよりも消費者が持つ時代である。BtoBの平成の製造現場は改造・リニューアルが主体であったから、供給メーカーの方がまだ有利な情報を持っていた。しかし、現在の現場情報は新しい技術を加味し、現場の一新をも辞さずの構えである。だから平成期のように、メーカーが蓄積してきた情報で商品をつくっても現場は喜ばなくなった。 BtoBのマーケットでも供給メーカーよりも現場の方が多くの情報を持つ時代になっている。令和に活躍する機器部品販売員は営業活動についての意識を変える時である。つまり現場が持つ多くの潜在化している情報を吸い上げるセンスを磨く必要があるのだ。