令和時代の営業事情を読み解く時に参考になるのがクラウゼヴィッツの「戦争論」である。これまでに戦場で起こる危険と兵士の肉体的苦難を対比して、令和の営業現場で起こる不安や精神的ストレスに関して考察してきた。
今回は情報に関することである。戦争下において情報とは敵に関するあらゆる知識であり、それが計画、行動の基礎になる。それらの情報は絶えず変わるし、それに誰もが悪い情報を信じやすくなる。だからといって確実な情報のみを拾い集めるのは間違いである。
「さまざまな情報の下で十分に練った計画なら矛盾する情報が飛び交っても、それに惑わされず粛々と実行すればいい、そうすれば少しずつ視界は開けてくる」とクラウゼヴィッツは言う。営業戦線においてもしかりで、計画ならびに行動の基礎となるものは情報である。
平成時代には新しい製品は次々と発売されたが、それらを造る製造現場では大きな変化は少なく、改善、改造、リニューアルが多かった。令和時代の製造現場は平成で芽生えた新しい技術が本格化するだろうし、社会の価値観の変化や人手不足などの影響をもろに受けるだろう。
平成で育った販売員にとっては、平時から有事の対応に変える必要がある。その一つが情報に関する認識である。平成の販売員が言う情報は商談や競合の情報であった。クラウゼヴィッツの言う「敵に関するあらゆる知識」とは営業においては何を指しているのか。
それは「機器部品が売れる可能性のあるマーケット全体の知識」ということになるが、販売員にとっては広範囲すぎて現実ではない。前回述べたように大手の販売店はマーケティングスタッフを有し、メーカーの意向や顧客の案件状況分析、世の中の流れといった情報を基にして戦略的な手を打っていける。
一般の販売店はどうだろうか。いわゆる人、物、金の余裕はなく大手の販売店のような情報収集もままならず、さりとて追随も難しい。だから戦略的な判断をするにしても販売員情報に頼ることになる。平時においては顧客から出る案件や競合状況等の情報を主として入手すればよかったが、そのような商談に絡む以外の情報入手が必要になる。
まずは顧客の現在の詳細な内容、製造形態や設備類、技術部門などの詳細情報のことである。そして今後、それらのことがどのように変わっていくのか、という情報である。平成以来の販売員は売ること一筋であり、売り込み活動の際にも自分の顧客は興味があるはずだと思っているから売り先の認識は顧客である。
自動制御マーケットが未成熟の頃の販売員は売り先は顧客というより、マーケットに売るという認識の方が強かった。自動化が当たり前ではなかったため、「どこに自動化のできる箇所があるのか」という目で訪問した。だから工場内の様子を探る営業が身に付くようになった。
工場内には箇所箇所に特色がある。つまり一つのマーケットではなく。いろいろなマーケットがあると感じた。そしてそれぞれのマーケットに適した機器や部品が売れることを学んだ。だから新しい商品が発売されると顧客内の当該マーケットに売り込んだ。
当時の販売員はマーケティング的感覚を持たざるを得なかったのだ。だから情報活動がうまかった。現在の顧客はかなり複雑である。その顧客を中堅販売員でも知っているつもりになっているが、実際は売り込んだ商品周辺のことくらいであろう。
つまり何も知らなかった当時の販売員と同じ状況と思った方がいい。令和時代の顧客はさらに複雑になっていく。そこで情報収集活動を当時の販売員のようなマーケット探しの感覚を持ってやらなければならなくなる。その情報活動の結果が令和で挑戦していく道を示してくれるであろう。