若い販売員に「どんな営業をしたいか」と聞く。比較的に多いのは案件がもらえる営業をしたいという回答である。案件が発生すると販売員に声がかかって打合せに入る。こうした打合せの件数は昭和の頃と比べるとかなり小さくなっている。昭和の製造現場では常に自動化を模索していたから顧客から案件の声がかかるのを待つだけでなく販売員の方から「この作業の自動化を考えてみませんか」などと突っ込みを入れる事もあった。販売員は解決の提案ができるわけではなかったが技術者にとって課題が示される結果となってその後打合せに入ることもあった。
また、新しい商品が誕生している時期であったからサンプルや資料を持って訪問すると技術者はあの工程で使えるかもしれないと言って打合せに入るケースもあった。自動制御業界の成長期にはとにかく打合せの件数は多かった。その様な打合せの多い営業活動によって、この業界の営業の売り型がつくられた。販売員は数々の打合せを通して機械装置や製造現場の設備に明るくなって、使用する機器部品の役割を知るようになった。その事がベースになっていたから、それ相当の商品を紹介して、自動化の話に持ち込むという営業活動になったのだ。
やがて知造現場の自動化はすごい勢いで進みだした。機器部品は打合せもなしにどんどん売れていくが現場のどこにどんな役割で使われているのかが次第によくわからなくなり、販売員は不安を感じるようになった。その不安払拭のためになったのは三新運動だった。前回述べたように新しい商品の売り込み活動をしながら新規見込客の開拓と新しい需要の発見、そして新用途の発見をする三通りの活動であった。この活動によって多少の安心感を得たのは束の間で、平成に入って間もなく競合の激しい時代に入ったため、営業は商品の力で押すプレッシャーセールスが主流になった。その上、現場では営業と打合せなしに進めていく仕事が多くなっていたから打合せ案件は少ない。それでも売上はそこそこ順当に推移した。こうした期間が長く続き、販売員は商品をよく知らないと不安になるが顧客の製造現場のことをよく知らなくても不安にはならなくなっている。
令和年間は社会の価値観や新技術が現場に大きな影響を与える。そうなれば機器部品市場の様子は変わってくると思わなければならない。少し新市場が見えているがまだ明確には見えていない。新市場を形成していく企業や部所や人は一体どこにいるのか。わかっていることは案件を待つだけの営業や商品の力で押すプレッシャーセールスだけでは新市場は見えて来るということである。新市場を形成する人達を探す前にまずは自分達の顧客の事をほんの表面的にしかわからなくなっていることに気づかなければならない。
そうすれば昭和の三新運動のような気持ちが湧いてくる。それで自分達の顧客を知るための活動を始めるなら例えば三知運動というような命名をして日々の売上活動の中に繰り入れればいい。一ツ目の「知」は表面的にしかわかってない顧客の製造現場をよく知る活動。二ツ目の「知」は顧客は自分達が知らない製品を作っているのではないか、あるいは新しく作ろうとしているのではないかという視点での活動。三ツ目の「知」は顧客の製品や製造現場で使われる機器や部品の新しい役割や用途を知りたいと思って顧客に接する活動。この様な三通りの活動を日々の営業活動の一環にすればこれまで知らなかった顧客の実体が少しわかってくる。そうすれば令和時代の売り方が見えてくるし、何よりも営業がおもしろくなる。