「劣化列島日本」をテーマとした今年度シリーズの第8回目は、虎視眈々と日本市場攻略を進めている中国の機械メーカーの実態に迫ってみたい。
8月2日付日刊工業新聞に、中国レーザー加工機のトップメーカーであるHSGレーザー社の日本市場への参入を報じている。『日本に本格進出。HSGレーザー』と題し、大々的に報じられた内容を要約すると、『中国レーザー加工機の最大手HSGレーザー社、(中略)は日本市場攻略を本格化する。(中略) 。9月28日に新本社と展示場を開設。 年内中にメンテナンス人員6人、カスタマーエンジニア3人を増員してサポート体制を充実する。(中略) 。今後、世界戦略における最重要拠点を日本に位置づけ、米国、ドイツも攻略する。 (中略)。
日本のお客様のニーズを重視した製品の企画・開発を徹底(文末省略)』とあり、また、『日本市場でラインナップする商品群を、①レーザー加工機(1・5kW~30kWファイバー)の小型機から大型機まで②ファイバー・ハンディー溶接機③パイプ加工機』と報道している。 巨大な中国市場で育まれ世界最大のレーザー加工機メーカーに君臨するHSGレーザーの本格的日本進出は、日本の精密板金業界にとっての大事件であることは明白である。 新聞報道されて2週間が過ぎた今、意外なほど多くの精密板金企業が関心を示している。『サービスが良かったら導入検討に値する』『展示場がオープンしたらすぐ見に行く』との声を聞く。
HSGレーザーの日本攻略戦略には、「中国における数十年の歴史」が背景にあり、この歴史的経緯に触れてみたい。ここからの解説は、筆者の国際的及び中国ビジネスの経験をもとに記載するものであり、 精密板金業界における板金機械メーカーの中国での歴史的経緯である。日本経済と中国経済を俯瞰的に解説するのもではないことをご承知おき頂きたい。
まず歴史の始まりは、今から40年ほど前の鄧小平による改革開放が行われた1980年代に遡る。この頃の中華人民共和国に精密板金市場は存在しないが、国営企業が日本製や欧州製の機械を輸入し、非効率な板金製造を行っていた。従って、中国国内に板金機械メーカーはまだ存在していない。筆者が中国を初めて訪問し、多くの国営企業を訪問したのはこの時である。今日の中国経済の礎を築いたスタートの時であり、未来を夢見る「勢いのある中国の活力」に魅了されたのもこの頃である。
半面、日本では85年のプラザ合意をキッカケに円高が進行。日本経済全体が魔法にかかったように日本国内での製造を放棄し、グローバル化を信奉して、特に中国市場を新たなる楽園ととらえ、日本企業の中国進出が始まった。精密板金業界でも、筆者の前職である機械メーカー(A社)が中国進出を本格化させた。この頃から、中国国内では、(機械メーカーにとってお客様となる)民間の板金企業が続々と誕生した。 A社はその流れを的確に捉え、中国での市場シェア№1に君臨したのは90年代のことである。
2000年代に入り、レーザー加工機の需要が始まり、ドイツメーカー(T社)の中国参入により、日独メーカーが中国の板金市場を奪い合う戦いが繰り広げられた。ところが、10年代に入るとあっという間にシェア上位を (新興勢力である) 中国国産メーカーが奪った。HSGレーザーは、若い創業者による民営の新興中国メーカーであるが、中国№1のレーザー加工機メーカーの地位を築いた。A社やT社が苦心して中国市場の開拓に邁進した努力は、虚しくも中国メーカーに(技術や人材を)奪い取られる結果となった。 今やA社やT社の生産台数を遥かに超える大企業に発展したHSGレーザーに続く2番手以下も、中国メーカーに占領されており、すでに数十社の中国メーカーが存在している。 中国国内市場で日独メーカーとの戦いに勝利した中国メーカーが、本格的に日独市場に殴り込みをかける歴史のスタートが22年の今年である。
HSGレーザーによる日本市場攻略は、日本メーカーが、好むと好まざるとにかかわらず、日本市場を舞台とする「本土決戦」を余儀なくされることを意味する。今日まで、中国メーカーの日本進出を阻んできたのは、日本人による丁寧なサービス対応や、高度な日本品質を背景とした「安心感」であった。HSGレーザーの日本進出は、日本の技術者を雇用し、徹底的な日本品質のサービス・機能と量産低価格製造を武器に、単なる安物中国製の「安かろう悪かろう」を払拭し、「高品質ジャパンブランド構築と価格破壊」の両輪戦略を基本に据えている。この戦いの行末は未知数であるが、「本土決戦の火蓋が切って落とされた」のである。
◆高木俊郎(たかぎ・としお)
株式会社アルファTKG社長。1953年長野市生まれ。2014年3月までアマダ専務取締役。
電気通信大学時代からアジアを中心に海外を訪問して見聞を広め、77年にアマダ入社後も海外販売本部長や欧米の海外子会社の社長を務めながら、グローバルな観点から日本および世界の製造業を見てきた。