筆者は、1977年4月に東京都調布市にある電気通信大学電気通信学部を卒業し、新卒でアマダに入社。精密板金市場の販売一筋に37年間勤務し、2014年にアマダを退職した。現在、筆者が在籍するアルファTKGは、アマダ退職と同時に筆者が創業した会社 であるが、お客様はアマダ時代と同じ精密板金市場が主流である。45年間にわたり、販売畑を歩んできた。日本全国をはじめ、アメリカ・欧州・アジア・中国などのお客様とご一緒しながら、業界の変化を共有し、中小製造業の経営者感覚や国際感覚も体得してきた。耳学問ではなく、肌感覚で体験した経験や知識によって人生が構築できたのは幸せである。これは世界中のお客様に教えて頂いたお陰であり、深く感謝すると同時に、今でも筆者を支える中心軸となっている。
パラダイムシフトとは、一般的概念が大きく変わることを意味する。筆者が精密板金市場で活動してきた45年間の間にもパラダイムシフトが叫ばれたことは枚挙にいとまがない。ところが、今年22年に起きている精密板金業界を取り巻く環境変化は、過去に類を見ない「真のパラダイムシフト始動開始」と断定しても過言ではない。筆者が45年間経験したことの無い「不気味」が起きている。この先数年に渡り、精密板金業界に「想像を絶する変化」が起きることは必至である。精密板金業界のみならず、 日本の中小製造業の共通項であるかもしれない。避けがたい大変化は既に始まっており、方針を誤れば企業の存続が危ぶまれる。 『風雲急を告げる』とは22年にふさわしい言葉である。 『劣化列島日本』をテーマとした今年度シリーズも第11稿となり、残すところ2回で終了となる。今回は『精密板金業界・真のパラダイムシフト始動開始』を取り上げたい。
筆者は、バブル崩壊やリーマンショックなど歴史的惨事を経験してきたが、これから起こる大変化は、はるかに大きな規模で想像を越えるスピードで、業界全体に襲いかかる「大惨事でもあり大チャンス」でもある。 ただ、初めに認識すべきは、『景気が悪くなる』といった景気後退の問題ではない。 精密板金業界は『バブル崩壊やリーマンショックも喉元過ぎれば・・で、乗り越えてきた。』『コロナも同じ。影響はあったが、時が解決するさ!』といった客観論が、業界全体を支配している。事実、精密板金業界全体の受注高(日本国内)は、『今後長期間にわたって増える』と予想されるので、需要不足による不景気は考えづらい。 しかし、今回の大変化は全く異質のものであり、前述のような楽観論は通用しない。結論を急ぐと、大変化の本質は『淘汰』である。
日本の精密板金業界の総生産高は4兆円、企業軒数2万社、年商2億円、従業員数30人以下の代表的な中小企業群である。 精密板金業界の将来展望において、総生産高4兆円は今後も増大すると予想され、年率5%以上の成長余地を持つ「超有望業界」である。ところが、企業軒数2万社は大幅に減少し、10年以内には半数の1万社以上が消滅すると予想されている。企業軒数が減少する予測は、10年以上も前から指摘されていたが、これから始まる「強烈なパラダイムシフト」が『淘汰』を加速する。 精密板金業界には不滅の常識がある。それは、①『マシンへの神話』(良い機械を導入すれば儲かる)②『QCD神話』(短納期・多品種少量生産が差別化である)、そして③『現場ノウハウ神話』(現場ノウハウこそ儲かる源泉である)。これらの常識は、何十年にわたり継続し成功してきたので、成功体験を強く持つ経験豊富な経営者にとって、このパラダイムを否定するのは相当に困難であった。しかしいま、その常識が音を立てて崩れようとしている。
その兆候が22年に明確に現われ始めた。最初の兆候は、発注元のニーズ変化から始まった。今まで多くの小規模板金企業と取引をしていた発注元が、『大量ロッド生産のできる企業に集中発注する』という変化である。円安や中国の状況変化を背景に、国内に製造基盤を移す大手製造業では、大量の生産量を(国内で)製造する必然性から、大量生産のできる板金工場を探し求めている。 2番目の兆候は、塗装・溶接設備を持つ精密板金企業に仕事が集中することである。組立てに合わせ、必要パーツの艤装(ぎそう)や電子部品の実装作業を一括で発注する大手企業も増えている。 そして3番目の兆候は、エンジニアリング・板金設計のアウトソーシングである。3D板金設計力のある板金企業に仕事が集中する傾向が出てきた。「マシン神話」「QCD神話」「現場ノウハウ神話」のみに支配された精密板金企業は数多く存在するが、残念ながらこの神話だけでは未来の企業存続は難しい。 「10年以内に1万軒以上の工場が姿を消す半面で、強い企業がますます強くなり、巨大化する・・」。そんな常識が通用しない時代がやってくる。
◆高木俊郎(たかぎ・としお)
株式会社アルファTKG社長。1953年長野市生まれ。2014年3月までアマダ専務取締役。
電気通信大学時代からアジアを中心に海外を訪問して見聞を広め、77年にアマダ入社後も海外販売本部長や欧米の海外子会社の社長を務めながら、グローバルな観点から日本および世界の製造業を見てきた。