世界経済変調の兆しが鮮明になっている。ウクライナの影響が世界経済に重大な影響を与えていることは様々な報道から十分理解しているつもりであるが、私は一本の衝撃的な電話に凍りついた。 電話の主は、ドイツ南部ジュセルドルフで中小製造業を経営するS氏である。S氏は、開口一番『お世話になったが、会社を閉鎖する。これからも友達として頼む』と告げた。私はS氏の会社を振り返り、自動化工場に挑戦するS氏の先進的な投資が走馬灯のように頭をよぎり、会社閉鎖など想像もしなかった事実に衝撃を覚え、『なぜ?』と聞き返した。S氏の答えも衝撃的で、『ウクライナ戦争で、ドイツはロシアに負けたんだよ・・』『エネルギー価格は暴騰し、インフレも進み、ドイツで製造業を続けるのは無理なんだ』『ドイツもEU全体も戦争犠牲者だよ・・』『君の知っているドイツの製造はもう無いよ・・』とまで言った。移民・難民を寛容に受け入れ、短時間労働を美徳とし、SDGsを推進し、中国やロシアへの輸出戦略を強く推進してきたドイツは、すべての戦略が裏目に出て国家の方向性を見失っているのかもしれない。かつては世界中に向かって高々に謳ったインダストリー4・0も今や影を潜めてしまった。S氏が指摘する通り、ウクライナ戦争による欧州各国の国家犠牲は半端ではない。ドイツを筆頭に欧州経済は大きな試練に直面していると言わざるを得ない。 日本国内から世界を俯瞰的に眺めても、世界経済不安の兆候には枚挙の暇がない。
鍛圧機械業界とは、プレス・板金・フォーミングを総称する業界であり、日本には数多くの優秀な機械メーカーや部品メーカーが存在しており、日本鍛圧機械工業会(日鍛工)が業界動向をまとめている。 日鍛工がまとめた鍛圧機械の4月の受注実績にも、鮮明な欧米経済変調の兆しが見える。驚くことに、国内向けは堅調に推移している半面で、輸出は前年同期比で35%減少。 日鍛工では輸出の大幅減について、『ウクライナ問題や対中国半導体輸出規制など、世界経済への不安定要素が顕在化している模様だ』と話しているが、地域別に見ると中国向けは 増減なし。アジア向けは30%以上の大幅増加。その半面で、北米向け56%減。欧州向けは 66%減と、もはや壊滅状態である。「地獄の釜」が開いた欧米経済? もちろん、4月の数字だけでは断定できないが、予断を許さない状況である。
日本鍛圧機械工業会主催の第7回プレス・板金・フォーミング展「MF-TOKYO 2023」が、東京ビックサイトで7月12日~15日の4日間開催される。233社が出展する大規模展示会である。コロナの感染者数が減少し、久しぶりのリアル展示に大いなる期待が持たれているが、この展示会が日本の製造業の未来を占う試金石となるのは間違いない。中小製造業の経営者にとって、最新機械の動向調査は経営戦略の必須事項であり、MF-TOKYOなど大規模展示会は実に有益な機会であるが、古き良き昭和時代の「機械を買えば儲かった」は現在には通用しない。 日本製造業の歴史を紐解けば、戦後からバブル経済に至る昭和の時代には、機械の進歩には目を見張る物があった。特に1970年代に登場した「NC(数値制御)機械」は、あらゆる 製造業業界に革新的なイノベーションをもたらし、まさに「NCを買えば儲かった」時代であり、NC機械が希少価値を持つ時代であった。85年のプラザ合意をきっかけに円高に突入した日本経済は、様々な海外シフトやグローバル化に舵を切るものの「失われた30 年」として大きな経済成長を享受できないまま今日に至っている。 ところが、今日の日本の中小製造業は「比較的恵まれた外部環境にある」と言える。もちろん、鋼材価格の高騰やエネルギー価格の上昇が大きな経営負担となり順風満帆とは言えないが、欧米と比較すればその影響は軽微であり、低金利の恩恵や各種助成金により高額機械が容易に購入できる環境も整っている半面で、日本の中小製造業を襲うアキレス伳は、「人手不足」であると言い切っても過言ではない。人手不足に対応する外国人労働者や技能実習生の大幅受け入れも積極議論されているが、移民に依存して製造業が成長した国はどこにもない。日本の中小製造業における、人手不足に対応する打ち手は、「DX化と自動化」、及び「女性の活躍」に集約される。人手不足は、製造現場作業者の不足のみならず、経営層やエンジニアの不足も深刻で、この対応が遅れれば企業の消滅も招きかねない。この打ち手には、AI・RPA(ソフトロボット)や協働ロボットなどの最先端技術の活用によるDX化・自動化が必須である。
連載100回を迎える次回から、オートメーション新聞の名にふさわしい、このテーマを深掘りし、「新・日本の中小製造業再起動に向けて」を寄稿する。
◆高木俊郎(たかぎ・としお)
株式会社アルファTKG社長。1953年長野市生まれ。2014年3月までアマダ専務取締役。
電気通信大学時代からアジアを中心に海外を訪問して見聞を広め、77年にアマダ入社後も海外販売本部長や欧米の海外子会社の社長を務めながら、グローバルな観点から日本および世界の製造業を見てきた。