筆者は昨日(1月24日)、インドから帰国した。主な目的は、インド・バンガロール国際展示センター で開催された「IMTEX Forming 2024」の視察と、当社のイベントへの参加である。 この短いビジネス出張で、インド社会の大きな変化を目の当たりにし、日本の中小製造業への警鐘となる気づきを得た。「IMTEX Forming 2024」は、約500社の出展者と5万人の来場者を誇るインド最大の金属加工業界向け展示会である。ドイツの「EuroBlech」、米国の「Fabtech」、日本の「MF Tokyo」に並ぶ展示会として、その規模や出展レベルは、世界3大展示会に匹敵する水準に達しているが、インドIMTEXに関心を持つ日本の経営者は少ない。 日本人の多くは「人海戦術で技術レベルが低く、人件費も安い」といったインドへのイメージを持つが、インドの進化は目覚ましく、とても早い。 私が初めてインドを訪れたのは1994年で、それ以来ほぼ毎年訪問しているが、コロナ禍の 影響で、今回のIMTEX視察は6年振りである。この間のインドの変化は大きく、今回の視察で、私のインド展示会に対する印象は一新された。展示会場の整然としたマネージメントや、ブースデザインのレベルの高さは先進国に勝り、予想外の好印象を受けた。
IMTEXでは『精密板金業界向けマシン』の出展に、特筆すべき新しい流れが見える。 それは、レーザ加工機における中国勢の急速な台頭である。 数年前まで、インド市場では世界市場と同様、日本やドイツのメーカーが主導していたが、今ではHSG社やBODER社のような中国企業が最大規模のブースを確保し、大きな存在感を示している。これらの中国企業は、ファイバーレーザの技術革新の波に乗り、独自の技術を保有して市場を構築している。高出力ファイバーレーザ切断など、日本では見られない先進技術が展開されている。 IMTEX各出展ブースでのDX化・自動化への取り組みも注目に値する。インドでは日本を上回る速度でDX化が進んでおり、現場製造力の弱さが逆にDX推進の機動力となっている。IMTEXでは、数多くのブースで様々な自動化(協働)ロボットの出展が見られ、インド製造業の革新的な技術と若々しい活気を感じることができた。
今回の出張では、IMTEX終了後に、当社のインド現地法人主催のテクニカルセミナーに参加した。セミナーには、インド及びアジアの各国や、日本からも大学の先生、企業経営者、各メーカーの主要幹部が集い、活発な議論が行われた。特にDXや自動化のテーマでは、人工知能を使った自動化に大きな関心が集まった。インドの熟練工不足をDXやロボット技術で克服しようとする姿勢は明白であり、日本にとって重要な教訓を与えている。日本では人手不足課題への打ち手として、「海外からの技能実習生や移民労働者の活用」を中心に検討されているが、インドでの人手不足は「熟練工の不足」を意味する。単純労働者の不足を問題にしているわけではない。このため、エンジニアリング工程の強化とDX化、及び製造現場のロボット化に焦点を 当てている。日本の中小製造業は、現場力が極めて強いので、エンジニアリング工程が弱くても、紙の図面だけで物が作れる製造現場を持っている。 この恵まれた環境が、日本の中小製造業のDX化・ロボット化を妨げている一つの要因とも考えられる。エンジニアリング力で劣勢の日本が「ロボット王国」と自負しているならば、世界の進歩に遅れを取り、『茹でガエル』となるのは明白である。DX化と協働ロボットの活用分野においても、日本はインドの製造業が指向するエンジニアリング強化にも目を向けるべきである。
日本のロボット大国の所以(ゆえん)は、自動車や電機の大企業の需要としての産業用ロボットであるが、IMTEXで花開いているロボットは、中小製造業を対象とする協働ロボットへの訴求が圧倒的に多い。日本の製造業に最も必要な将来像である。今回の出張で得た気づきは、我々日本の中小製造業にとって、優れた機械と熟練工による製造ビジネスモデルの方向性を見直し、人材不足に対応する経営投資の時期が迫っていることである。インドの急成長は、日本の製造業にとって脅威であり、かつ未来への羅針盤でもある。日本の中小製造業の歩む道は変革のみ。これがインドからのメッセージであ る。
日本の中小製造業が直面するもう一つの重要な問題は、国際市場への参入と国際競争力の強化である。インドのような急成長を遂げる市場において、日本の中小製造業とインド企業との共創により、新たなビジネスチャンスを生み出すことができる。日本の伝統的な製造業の強みを活かしつつ、新しいテクノロジーを取り入れ、グローバルな視点を持つことが必要である。日本の中小製造業が世界市場で成長を遂げるための戦略を練ることが求められている。
◆高木俊郎(たかぎ・としお)
株式会社アルファTKG社長。1953年長野市生まれ。2014年3月までアマダ専務取締役。
電気通信大学時代からアジアを中心に海外を訪問して見聞を広め、77年にアマダ入社後も海外販売本部長や欧米の海外子会社の社長を務めながら、グローバルな観点から日本および世界の製造業を見てきた。