日本の製造業が、歴史的な転換期を迎えていることは再三に渡りこのコラムでも話題にしてきた。熊本や千歳など日本の各地で、半導体ファンダリー(Foundry)への巨大投資が行われており、日本の将来を根底から変える可能性も秘めている。バブル崩壊以前には50%を超える日本の半導体シェアーが現在は10%まで低下し、数年後にはゼロになると言われていたが、突然の巨大投資の実現で日本に明るい未来が見えてきた。
ファンダリーとは、半導体製造において重要な役割を果たす企業のことで、他の企業(発注元) から依頼を受けて、(設計部門を持たず) 半導体チップの製造に特化する企業である。 世界最大のファンダリー企業には、台湾のTSMC(台湾積体電路製造会社)や韓国のSamsung Electronicsがあり、日本の半導体敗北の象徴である。ファンダリーの発注元である半導体企業は、ファブレス企業と呼ばれ設計に特化する。自ら製造施設を持たずに済み、設計に集中できるため、開発コストを削減できる。半導体産業は、ファブレス企業とファンダリー企業の連携で成り立っている。
日本が数十年前に、半導体分野で国際競争力を失った原因は2つ考えられる。1つ目は、ファンダリーへの対応遅れである。数十年前の日本は、垂直統合と呼ばれる設計から製造まで自社で行うビジネスモデルに固守していた。2つ目は、米国の強烈な日本パッシングである。前記の2つの要因に加え、円高とデフレの影響で、日本の半導体企業 (NEC、東芝、日立など)は投資を制限し、優秀な技術者までリストラ対象となり、人材と技術が海外流出した悲劇が起きたことは痛恨の痛みである。
ところが、2024年になって状況は一変した。ファンダリー投資には膨大の資金と人材が必要であるが、経済産業省が数兆円規模に及ぶ助成金を準備し、段階的実施した結果、多くの企業が参画し、半導体狂騒と呼ぶべき大変化が起きている。約30年以上にわたり大型投資の経験のない日本政府の英断は、驚愕すべき事実である。これによって政府主導の新事業創造が実現した。今まで政府は民間主導、すなわちベンチャー会社等、民間の力で新しい産業を切り開こうとしていただけに、今回の政府主導の政策は特筆すべきことであるが、この背景に米国の意図があるのは明白だ。というのも、米国にとって中国が進める「中国製造2025」の阻止は、安全保障上の喫緊の課題であるからだ。紙面の関係で詳細は割愛するが、「中国製造2025」では、半導体領域ですべて自国調達を目標にしている。アメリカと中国の間で進行中の技術および貿易戦争は、両国の戦略的な利益が直接衝突しており、この大局的な対立は、半導体を含む高技術産業において、(中国包囲網を構築し) 供給チェーンの安全性と技術の独立性を重視する動きを加速させている。
このような国際的な環境の中で、日本の半導体産業への再投資は、米国にとって唯一の「2国間同盟国」日本への期待と依存の現れであり、米国の国益のためでもある。現在、この投資に対する米国の日本パッシングは皆無である。特に熊本や千歳でのプロジェクトは、アジア太平洋地域の安全保障と技術的主導権を巡る広範な戦略の一環として、更なる意義を持って進められている。いまの半導体狂騒は、国内外での日本製造業の競争力を高め、投資をキッカケとした健全のインフレによる日本大復活の期待も高まる半面で、各地で人材不足と人件費高騰の深刻な影響が懸念される。
この動向を肌感覚でキャッチアップしているのは、九州の優良中小企業である。福岡に株式会社三松という日本の精密板金業界を代表する企業があるが、当社製の「ファイバーレーザロボット」を即決して導入した。三松では、自動化工場構築や新事業分野の取り組みに邁進しており、協働ロボットの活用にも極めて積極的である。社長の田名部氏は『DXと自動化なくして企業の存続はない』と明言されている。日本政府による半導体産業への巨額の投資は確かに国内外での競争力を高める一方で、 業界内の2極化「弱肉強食」の環境が強まることが予想される。 大企業や優良中小企業がさらに成長を遂げる一方で、小規模な企業は資金調達や人材獲得の面で困難を増すことになる。特に、新しい技術や投資に迅速に適応できる企業と異なり、資源が限られている小規模の製造企業は、このような環境下での生存がさらに厳しく なると予想され、その対応を急がなければならない。
前述の三松のように、DX化と自動化を進めることは極めて有効な打ち手であるが、多くの中小企業がDX化に踏み切れずにいるのは、残念である。 『守れば負ける』そんな時代が突然やってきた。
◆高木俊郎(たかぎ・としお)
株式会社アルファTKG社長。1953年長野市生まれ。2014年3月までアマダ専務取締役。電気通信大学時代からアジアを中心に海外を訪問して見聞を広め、77年にアマダ入社後も海外販売本部長や欧米の海外子会社の社長を務めながら、グローバルな観点から日本および世界の製造業を見てきた。