2024年4月から社名に「SUNX(サンクス)」と付いた会社が消えた。ブランドとしての「SUNX」は2010年に無くなって「パナソニック」になり、「パナソニックデバイスSUNX」として社名にSUNXが残っていたのも、4月からパナソニックインダストリーに事業譲渡したことで、それも消えたのである。非常に寂しいと同時に、時代の変化を感じる。
SUNXは光電スイッチのパイオニアメーカーとして1969年、三友技術研究所として創業。マイクロスイッチやリミットスイッチなどの有接触センサの全盛時に、非接触で検出できる方式として大きな注目を集めた。新しいセンサとして競合メーカーも多数参入したが、SUNXは先発メーカーとしての強みを発揮しながら、同じ非接触センサの近接スイッチもラインアップに加えながらの次々と新製品を開発し、専門メーカーの機動力を活かした販売施策で高いシェアを獲得していった。
70年~80年代前半にかけて、SUNXと光電スイッチの激しいシェア争いを繰り広げていたのはオムロンで、販売店も両社の製品を扱っているところが多かった。オムロンはマイクロスイッチやリミットスイッチなどの有接触センサでトップシェアを有していただけに、光電スイッチの販売でも強かった。ただ、SUNXとの競争も激しくシェアを落とし気味であった。オムロンは光電スイッチだけでなく、制御機器全般にシェアを落としていたことから、当時の会長で創業者の立石一真氏は『当社は大企業病に罹(かか)っている』として警鐘を鳴らし、流行語になるほど大きな話題になった。
SUNXから遅れること3年。72年に創業したのがキーエンスである。当時リード電機という社名で、80年にSUNX、オムロンを追うかたちで光電スイッチの販売を開始し、販売店を通さないで直接お客に販売するスタイルと、製品の生産工場を自社で持たないファブレス生産という独自の戦略で注目を集めた。
その後はSUNX、オムロン、キーエンスの3社がセンサ領域で激しい販売競争を繰り広げていたが、87年にSUNXは松下電工(現パナソニック)と提携し、パナソニックグループに加わった。
旺盛な設備投資を背景にして、センサをはじめとした電気制御機器市場は70年代から90年代にかけて大きく伸長し、日本電気制御機器工業会(NECA)の出荷統計では、69年の555億円から90年には5838億円と10倍以上に拡大している。3社の売り上げも市場拡大に比例して伸びていたが、センサのシェアは徐々に変化を生じはじめ、キーエンスが高めていた。キーエンスの売上高は、88年に100億円に達した後、92年に300億円、97年に500億円、01年に1000億円を突破。23年は過去最高の9673億円で、35年間で売り上げが96倍になっている。オムロンの23年の売り上げは8188億円であるが、このうち制御機器事業の売り上げは3936億円で、キーエンスの売り上げはそれより2倍以上多いことになる。キーエンスはセンサ領域では圧倒的な地位を築いているといえるが、一時は3強と言われたSUNX、オムロンの勢いはどこに行ったのだろうか。
SUNX、オムロンとも、創業時はベンチャー企業の先駆けとしてもてはやされた。筆者も両社を取材する機会が多かったが、00年頃までは失敗を恐れない挑戦する雰囲気が社内に充ち溢れていた。各社員が自分の責任で決断し、行動しておりあらゆる対応が早かった。経営者も結果を急がず、長期的な視点で指示を出しているからか、社員も伸び伸びと仕事をしていた気がする。
大企業のパナソニックに加わったSUNXは、創業時のベンチャー精神を失っていないだろうか。
電気制御機器のトップメーカーのオムロンは大企業病を再発していないだろうか。
大業病の捉え方は各人で様々であろうが、いずれも小さな傷(お粗末な対応)が大きな傷(業績悪化)に発展して、会社や組織の存在を危うくすることにつながる可能性がある。今は勢いのあるキーエンスもいつ大企業病に罹らないとも限らない。むしろ大企業になればなるほど罹りやすいと言える。また、大企業だけが罹るのではなく、中小企業も予備軍として備える必要がある。もう一度点検が求められる。
(ものづくり・Jp株式会社 オートメーション新聞 会長 藤井裕雄)