百貨店などに並び、全国で根強い人気がある広島の伝統工芸品「熊野筆(くまのふで)」。ヤギや馬、タヌキなどの天然毛を職人が手作業で整えてつくり、化粧や書道、絵画など多くの用途に対応した筆です。最終的な弾力や書き心地、肌触りを左右するため、毛の選び方やカット・加工などの作業は職人の経験に基づいて丁寧に行われています。
そんな熊野筆産業のうちの1社、晃祐堂(広島県熊野町)さんはハート型でピンク色の化粧筆がSNSでバズるなど、新製品の開発と攻めのマーケティングに力を入れています。伝統産業らしくない、奇抜とも言える発想で新たなファンを獲得しており、商品の競争力が非常に高いです。
しかし職人技の独自性が高い故に生産工程の管理など工場ではアナログな手法を続けていました。よりマーケティングや新商品の開発にかけられる時間を増やそうと、筆者が所属する東洋電装が得意な「少量多品種生産におけるDX」を取り入れることになったのです。
■「DXのゴール」設定が第一歩
東洋電装が晃祐堂さんのDX支援を始めたのは2023年の夏ごろでした。社長のもとに週に一回通い、まずはDXによって目指すべき方向性を議論しました。「紙のファイルをデジタル化する」「在庫管理ソフトを導入する」といった細かいDXをやみくもに進めるだけでは、意味がありません。大枠を考えてそこから逆算する必要があります。
議論の末、「人手・後継者不足の問題を解決し、商品の独自性を伸ばすことに集中したい」という目的が固まりました。そうして生まれたDXビジョンが「匠を極めることでユイイツムニの存在へ」。伝統的な職人作業のうち、デジタルでは補えない創造的な中核部分を残しながら、単純化できる作業を効率化。そのうえで浮いた時間を新商品の開発やマーケティング戦略の立案に充てようという狙いです。さらに継承すべき技術を明確にして匠をより極めることで「ユイイツムニ」の製品を生み出し、ゆくゆくは業界のリーダーとなる「ユイイツムニ」の存在になるという意味を込めた目標です。
DXビジョンの実践に向け、進捗目標を初期(1~9か月目)、中期(10~18か月目)、長期(19~27か月目)の3段階に分けました。細かく言うと初期は「作業工程を見える化する」、中期は「生産現場へのDX浸透と生産工程の一部自動化」、長期ではコスト・工程管理も組み合わせた「デジタル工場の誕生」に定義を決めました。
3年後の最終形では、工場での製造工程に必要な人数を少なくし、1本あたりの生産にかかる期間も短くすることを目指します。単純にコストを減らそうという取り組みではなく、手が空いた職人の方は他の生産性の高い業務やマーケティング、製品開発に移ってもらうのが趣旨です。
■ICカードで工程管理
まず着手したのが作業工程の可視化。東洋電装の制御盤製造における生産管理システムをカスタムして導入しました。大きな課題として、伝統的な技術者が強みなだけにそれぞれの職人のやり方や癖が強く、生産の状況が見えづらいことがありました。若手への指導や育成方法も人それぞれです。
A3の辞書ほどに分厚いファイルを工程の管理者が持ち歩いていて、それで生産工程の進捗を管理していました。まずはそうした紙をなくそうと、作業伝票とともにICカードを配布。それぞれの作業場に行ったときに通信機器にタッチしてもらうというシンプルなシステムを導入しました。「誰が、どの商品が、どの工程にいるのか」を把握するためです。それぞれの作業場では作業完了時に進捗状況をシステムに入力してもらい、「どこまで工程が進んだのか」をクラウドによって誰でもどこでも一覧で把握できるようにしました。
東洋電装のシステムのユニークなポイントはインターフェイスを自由に選べることにあります。たとえば今回の晃祐堂さんはもともと作業伝票が製作過程で流れていく仕組みだったため、それにICカードを一緒につけて流すだけでオペレーションはほぼ変わりません。(自動認識技術の)RFID、タブレットやスマホによるボタン操作でも同じように管理できます。
一般的にシステムを導入すると数千万円かかりますが、当社ではデジタル化が遅れている中小企業を対象としているので機能を最低限にすることで数百万円に抑えられます。まずはICカードなどとっつきやすい道具でデジタルの恩恵を感じてもらい、親しんでもらう意味もあります。
製品在庫の管理もそれまでは棚を見に行かないとわからなかったのですが、クラウドにアップしていつでも参照できるようにしました。注文を受けてからの生産管理、職人のシフト調整が断然楽になります。無理をして一気にデジタル化を進める必要はありません。DXビジョンやロードマップを作成することによって、ステップが明確になります。それから安価なコストで少しずつ進めていくことが成功のポイントです。
■1週間分の作業を録画・分析
次に取りかかったのが、東洋電装の十八番ともいえる「作業者の動画分析」です。細かい作業を録画して洗い出すという手法で、アナログに見えますが、効果は絶大です。広島工業大学と連携した分析で、前回記事でもデニムメーカーによる事例としてご紹介しました。
今回は職人5人の1週間分の作業を撮影し、映像を確認しながら1カ月かけて作業時間を分類しました。同じ工程でも「在席している」「離席している」「筆の作業をしている」「筆以外の作業をしている」などをつぶさに洗い出すと、やはり課題が明るみに出ました。熊野筆の製造工程は動物の毛をそろえ、筆の持ち手にはめこみ、櫛でといて品質を整えるなど精緻な作業が必要になります。
たとえば、小刀を使って毛を整える工程。指を保護するために使う道具だけでもマスキングテープや指サック、テーピングの3種類があり、同じ工程でも手順が人によって違いました。人によってどう使うかは統一されておらず、一部の人は時間がかかっていました。さらに他の工程では誰の作業方法が最も早いのか、作業の順番が異なる人がいればそれは作業時間にどう影響しているのかを徹底的に分析しました。作業台に置く道具の配置が人によって全然違いますが、どの置き方が一番早いのかも見極めて提案しました。
中小製造業のDXをお手伝いしていてよく言われるのが「できる範囲のDX(デジタル化)はもうやり切った」という言葉です。外から見ればまだまだ改善できるのに「この工程は無理だ」とか、「この管理は特殊例だから」などと言われます。ガラパゴス化した日本の製造業の負の側面ですね。結局、社歴が長くて「声の大きい」ベテランの意見が強くなりがちです。ただ動画分析は作業時間や他の人との違いを確固たるデータや数値で見せるので、比較的受け入れられやすい指摘になっているのかなと思います。抜本的な企業変革とDXによる継続的なデジタル改善には、社外からの風やコミュニティの存在も必要になりそうですね。
次回も東洋電装のマスカスタマイゼーションを軸にした改善事例を紹介します。
【著者】
越智 稔(おち みのる)
東洋電装株式会社
制御盤システム事業 事業部長
1984年愛媛県生まれ。制御盤の設計としてキャリアをスタートし、13年間エンジニアとして国内向けだけでなく海外向けのプラント関係制御設計及びシステム開発経験がある。PLC-HMI-SCADAの開発経験も多く、ロックウェル・オートメーションやシーメンスの開発経験と複数カ国の現地でのコミッショニングを経て技術力を高めた。更に欧州向けのIEC60204-1に準拠した設計によるCEマーク取得パネル、UL508Aに準拠したUL認証パネル設計を多く行った経験がある。現在は制御盤製造の事業運営と自社DX推進及び中小製造業のDX推進をサポートする新規事業を産官学連携で立ち上げ、システム開発統括及びフィールドサポートを行っている。